4月27日
2014年4月27日

「 三位一体・神の交わりの中に 」

申命記 6:1-15 ; ヨハネによる福音書 17:20-26


「ハイデルベルク信仰問答」を通して、わたしたちは生きる時も死ぬ時もただ一つの慰

めは、「主イエス・キリストのものとされていること」と教えられ、そのためには、福

音において約束されていることを信じ受け入れること、と教えられます。ここから、福

音において約束されていることのすべてを要約している使徒信条の学びに入って行きま

す。キリスト教会は、「公同の疑う余地のない箇条で示されているもの」として、わた

したちが信じるべき信仰の内容を要約した「信条・信仰告白」によって信仰の基準を定

めてきました。「この民がどこにいるにしても、この民に共通な、それなくしては何び

ともこの民の一員ではない、それなくしてはその委託を果し得ない認識の基準」(K.バルト)

といわれるものです。2世紀〜4世紀に生まれた「使徒信条」や「ニケヤ信条」などの

基本信条、それに、16世紀ごろのプロテスタント教会によって生み出された宗教改革

期の信仰告白、そして、それぞれの教団の一致の基準である「日本キリスト教団信仰告

白」などの現在の各国、各教団の信仰告白があります。これによって、信仰と生活との

誤りなき規範としての聖書に基づき、キリスト教会は何を信じてきたか、何を信じるべ

きか、何を語り伝えるべきかを公にしているのです。キリスト者になるのは、主体的に

信仰に導かれ洗礼を受けることから始まりますが、そこでは公同の信仰を受け入れるこ

とが誓約されるのです。

 使徒信条によって告白される信仰は、天地の造り主であり父である神を信じる、その

独り子主イエス・キリストを信じる、聖霊を信じると三つの存在の在り方によってわた

したちに御自身を示してくださる神を信じる、という内容になっています。三つの位格

によってご自身を示される唯一の神、三位一体の神を信じること、主イエス・キリスト

を信じるという部分が中心で、「キリスト論的三位一体論」の構造になっています。わ

たしたちの信仰は、わたしたちがどのように信じるか、わたしたちの感動や確信が中心

ではなく、信じるべき対象がどのような神であるかに焦点が合わされています。神の子

にして人の子であるキリストにおいてわたしたちと交わりを求め出会ってくださる父で

ある神、聖霊との交わりに導かれるのです。


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