創世記 1:1-2:4a ; ルカによる福音書 12:22-32
動物も人間も、命ある者は誰も母をもっています。誰もが命の初めを持ち、命を育み 養われてきた背後に、母の働きがあり、母の愛があります。それゆえに母に感謝する特 別な日を設けることは大切です。しかし、母は命の創造者ではありません。命の主でも ありません。命の初めであり、命の主である神に託された命を育み育てる大切な責任を、 感謝をもって担うときに、母には特別な恵みと喜びとが与えられます。このことを覚え る日が「母の日」の本来あるべき姿でしょう。 主イエスは、命の創造者、命の主として、命の正しい在り方について次のように教え ています。「命のことで、何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命 は食べ物よりも大切で あり、体は衣服よりも大切だ」と。わたしたちが生きて行くた めには何を食べ、何を着るかは大切な問題です。わたしたちは食べたり飲んだりするこ とによって生きています。それなしには生きられません。また、内と外とを装うことに よって、生きることの質がたかまり、喜びと生きがいを見いだすことができます。しか し、主イエスは、何を食べ、何を着ようかと自分の命と体のことで思い悩むことをやめ て、ただ神の国を求めなさい。あなたがたの天の父を求め、天の父が与えてくださる御 国を求めて生きなさいと教えるのです。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって 与えられる義と平和と喜びなのです」(ローマ14:17)と語られているように、わ たしたちに与えられている命、これまで養われ育てられた命は、命それ自体のためにで はなく、他者と共にある世界の中で、義と平和と喜びを創りだすために働き出すもので なければならないことが教えられます。何を食べ、何を着るかがわたしたちの人生の最 大の関心事となっていることから目を離して、聖霊によって与えられる神の国を実現す る働きに加わるために、主イエスはわたしたちの目を、カラスや野の百合がどのように 生きているかをよく観察するようにと語られます。カラスにしても野の百合にしても、 それらが生きるために懸命の営みがあるはずです。しかし、その営みの本質は、「天の 父は彼らを養っていてくださる」です。「あなたがたには、なおさらのことである」と。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る