イザヤ書 43:1-7 ; マタイによる福音書 10:26-33
「ハイデルベルク信仰問答」問26〜28で使徒信条の第1項「天地の造り主全能の父な る神を信じる」の解説が続きます。ニケヤ信条では「わたしたちはただ独りの神、すべ てを支配される父、天と地と見えるものと見えないものの造り主を信じます」と、同じ 内容の信仰が告白されています。この信仰によって「あなたは何を信じているのですか」 の問いに対して、「天と地を造られた方が、イエス・キリストのゆえに、わたしの神で あり父であると信じるのです」と答えることに注目しなければなりません。信仰の告白 は御言葉を通して証しされるイエス・キリストを通して示される神の御業、神の救いに ついての確認と承認を意味するだけでなく、御言葉に対する主体的な応答であり、信頼、 選択、決意、服従を意味するものであることが明らかにされています。これは、ここに キリストのゆえに死から命へと移されているわたしの信仰、わたしの命のありかなので す。 天と地とその中にあるすべてのものを無から創造された方が、キリストのゆえに、わ たしの神であり、わたしの父であると信じることは、「そのように信頼することによっ て、神はわたしの身と魂に必要なすべてのものを備えてくださるということ、そして、 この悲しみに満ちた世にわたしを送られて、どんな災いを受けようとも、それをもって よきことへと変えてくださることを疑いません。神は全能の神としてそのようになさる ことができますし、また真実に満ちた父としてそうすることを喜ばれるのです」と続き ます。このような信仰、このような信頼は、決して自明のものではありません。ボンヘ ッファーの語るように「人間はあらゆる重要な問題において『神という作業仮説』の助 けを借りることなしに自分自身を処理することを学んだ」と言われる現代に生きる者に とって、とりわけそうです。 天と地とその中のすべてのものを造られた主イエスは、このような時代にわたしたち を遣わすにあたって、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。む しろ、体も魂も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」と語られます。「二羽の雀 が1アサリオンで売られているではないか。だがその一羽でさえ、あなたがたの父のお 許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えら れている。だから恐れるな」(マタイ10:29)と語られます。
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