イザヤ書 44:21-28 ; ローマの信徒への手紙 8:18-30
『ハイデルベルク信仰問答』 問い27:「あなたは神の摂理とはどのようなことだと理解していますか?」 答え:「全能の生きておられる神の御力が今も働いているということです。それによ って、天と地にあるすべてのものが支えられています。神は摂理によってすべての被造 物を御手のうちに保つようにして支配しておられますので、木の葉も草も、食べるもの も飲むものも、健康な時も病む時も、豊かな時も貧しい時も、すべてが偶然のことでは なく、神の父としての御手によってわたしたちにもたらされるのです。」 創造の信仰とは、単に神が世界の創造主であるという世界の始原についての信仰だけ ではなく、この神が今も生きて働いておられ、主イエス・キリストのゆえに、わたしの 神であり、わたしの父であると信じること、つまり、摂理の信仰を含んでいることを示 しています。そこから更に「摂理とは何か」と問い、上記の答えが示されます。信仰は、 過去のことではなく、今を生きるわたしが世界とその中で起こることをどのように捉え、 その世界とどのように向き合うか、世界の歴史、政治・経済・社会、環境、自然などす べての領域に関わっていることが教えられます。しかし、雨の日も日照りの日も、豊作 の時も不作の時も、それらすべてが偶然ではなく神から来る、ということですから、相 反するような出来事、よいことや幸福だけでなく、わたしたちが経験する悪や災いや悲 しみ、死などとも、どのように向き合うかという問題とも直結して、容易ならざる問題 です。摂理を信じることは、この世界の目の前の現実に抗して、神の愛と正義と平和を 信じて、神の国の実現を目指し、望み見ながら生きることを意味するからです。創造と 摂理の信仰が現代の世界とわたしが生きる現実において生きた信仰となるためには、 「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に生みの苦しみを味わっていることを、わ たしたちは知っています。」という神によって創造された世界のうめきを共有すること、 その中で、「同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈 るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださ る方です」と、聖霊の働きを信頼して生きること、すなわち、父と子と聖霊の三位一体 の神のわたしたちに向けられた御思いと御業を信じることなしには、単なる空想に終わ る危機をはらんだ信仰であることが分かります。
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