イザヤ書 55:6-13 ; ヨハネによる福音書 7:25-39
ペンテコステは、初代教会の使徒たちに聖霊が降って大胆に福音を宣べ伝え始めた教 会の初めの出来事を記念し、聖霊の働きを覚え、感謝し、わたしたちを生かし、力強く 動かしてくださる聖霊が降るように心を合わせて祈る時です。聖霊は、「命の与え主で あり、父と子から出て父と子と共に礼拝され、共に栄光を帰せられます」と告白されて いるように、三位一体の神の交わりの中にあって、わたしたちに最も近く働いてくださ る神です。2千年前に初代教会の使徒たちに働いた聖霊は、今に至るまで、あの時と同 じように、人々の魂を主イエス・キリストの十字架の死と復活を通して示された神の慈 愛と回復の招きへと呼び覚まし、福音を伝えることへと奮い立たせてくださっています。 聖霊は、わたしたちの目には見えませんが、風や息、そして、ペンテコステの時のよう に、激しい風、炎のようなもの、力強く語らせる舌のようなものと聖書に示されていま す。それぞれの表彰が力強く働く聖霊のダイナミックな姿をとらえて、人を内側から突 き動かし、新しい者に変えてゆく働きを表しています。ヨハネによる福音書では、聖霊 は「生きた水」のイメージで語られており、聖霊の生きた働きのありようを示していま す。「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、 聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れるようになる。・・・ それはご自分を信じる人々が受けようとしている霊について言われたことである」と記 されています。また、ヤコブの井戸のところでサマリアの女との対話の中でも、主イエ スは「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかしわたしが与える水を飲む者は決して渇 かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」と 語られました。そのほかにも聖霊と水とのアナロジーが調所に出てきます。聖霊は「生 きた水」として、主イエスが栄光を受けられたのち、すなわち、十字架の死と復活を通 して天の父の御心を全うされたのちに、人々に注がれ、「命の水」となることが示され ています。水は体の中に浸透し、渇きをいやし、リフレッシュさせ、命を支え、命を育 みます。また、人の命だけでなく、すべての命あるものの源です。聖霊は生きた水のイ メージによってその独特の働き、そして私たちに与えられている独特の使命に気づかせ てくれます。
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