6月15日
2014年6月15日

「主イエスの御名のゆえに 」

エレミヤ書 17:1-13 ; 使徒言行録 4:1-22


 ペンテコステを経験し、聖霊に満たされて熱く燃える主イエスの弟子たちの群れ、キ

リストの教会を襲った最初の危機、それは、使徒たちの中心人物であったペトロとヨハ

ネとが捕えられて、主イエスを十字架に引き渡したユダヤの議会の審問にかけられると

いう出来事でした。そのきっかけは、エルサレムの神殿の「美しの門」といわれる柱廊

に座って物乞いをしていた生まれつき足の不自由な人に、「ナザレの人イエスの名によ

って歩きなさい」と言って立ち上がらせたところ、たちまち足やくるぶしがしっかりし

て、躍り上がって歩き回るようになったという不思議な出来事にあります。この出来事

に驚いて集まってきた群衆に主イエスのことを話しているのを見咎めて、神殿守衛長や

サドカイ派の人々、祭司長らがペトロとヨハネを捕えて牢に入れ、翌日審問にかけたの

です。

 ここでペトロが「聖霊に満たされて」、大胆に、恐れることなく語ったことは、「あ

なたがたが十字架にかけて殺し、神が復活させられたあのナザレの人イエスの名によっ

て」この出来事が起こった、ということです。ペトロは主を十字架にかけた人々に対し

て恨みやつらみを述べているのではありません。イエスの名を呼ぶときにもたらされる

解放と救い、癒しの力について語っています。復活の主が生きて働いてくださることを

証ししているのです。わたしたちも祈る時、主イエスの名を呼びますが、主イエスの名

を呼ぶということは、おまじないのような魔術的な効果を期待することではありません。

十字架にかかり、わたしたちの罪の清算を成し遂げてくださった主が、復活の主として、

死に勝つ命を聖霊によって与えてくださる、今も生きて働いておられる主の名を呼ぶと

いうことです。その呼ぶ声は、むなしく空中に消えることはありません。

 ユダヤの議会の長老たちや大祭司たちは二重の驚きに直面させられています。無学な

ペトロやヨハネの大胆さに。そして、歩けなかった人が立ち上がって目の前にいるとい

う事実に。彼らは何も言えなくて、ただイエスの名によって語ることを禁じるのみです。

しかし、ペトロは答えます。「神に従わないであなたがたに従うことが神の前に正しい

かどうか考えてください」と。あのイエスを否認したペトロが語ります。ここにも復活

の主の名が働いています。


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