イザヤ書 43:8-15 ; ヨハネの手紙一 4:1-6
『ハイデルベルク信仰問答』は問29から使徒信条の第2項、「我はその独り子、我らの 主イエス・キリストを信ず」の講解に入ります。その最初のところで、「イエス」「キ リスト」「独り子」という名前と称号が何を意味しているかの解説にかなりの部分をあ てています。「イエス」という名前については、旧約聖書に出てくるヨシュアと同じ名 前で、よくある名前ですが、この名前の意味は「救いをもたらす人」(祝福を与える人) となりますので、わたしたちの主が「イエス」と呼ばれるのは、「この方がわたしたち を罪から救ってくださる方だからです。また、この方をほかにしては、他のどんな救い を尋ね求めることも、見いだすこともできないからです」と、答えています。イエスと いう名前は、ただ他の人と区別するための標識としてあるだけでなく、名前の意味する 通りの力と働きを持っていることを覚えるべきだと教えるのです。主イエスの名を呼ぶ ということは、その名と共に、その名を信じる者に、罪の赦し、救いと癒しと解放の力 が働くこと、十字架にかかり、わたしたちの罪の清算を成し遂げてくださった主が、復 活の主として死に打ち勝つ命を聖霊によって与えてくださる、心から信頼すべきお方で す。 使徒信条のようなすべてのキリスト者が信じ受け入れるべき基本信条において、「天 地の造り主、全能の父なる神を信じる』ことと並んで「イエス・キリストを信じる」こ とが出てくることの不思議さに目を留めなければなりません。「イエス」は生きた人間 の名前であり、歴史的な存在を表します。全能の神を信じること同格のものとして、わ たしたちと同じ肉体を持ち、わたしたちと同じ死すべき命をもって生きている存在を神 として信じると告白しているのですから。ヨハネの手紙では、偽りの霊と真実の霊とを 見分けなければならないと言って、その見分ける基準は「イエス・キリストが肉体を取 ってこられたことを公に言い表す者は、すべて神から出たものである」と記され、そう でない霊は「偽りの霊」から出たものだと断言します。イエスという、肉体を取り、人 間的・歴史的な存在において、わたしたちと共に歩み、わたしたちの痛みや悩みを知り、 死の刺を自分の身に受けて陰府にまで下られた方こそ、まことの神として信じるべき方。 この方こそ、神から出た霊によって導かれ、まことの神、道であり、真理であり、命な のです。
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