申命記 18:15-22 ; ヨハネによる福音書 18:28-38
安息日の午後のことでした、シモンの姑が高熱を出したので、周りの人から癒してほ しいと言われ、主イエスは枕元に立って熱を追い払われました。するとその姑はすぐに 起き上がって一同をもてなすことができるようになったのです。 日が暮れると、そのことを聞きつけた多くの人たちが病人を抱えて主イエスのもとに 連れて来ました。主イエスは直ちに一人一人に手を置いて、癒されました。夜明けまで 癒し続けられました。 朝になって、主イエスはいつものように、人里離れた所へ祈りに出かけられました。 群衆は主イエスを捜し回って、その姿を目にすると自分たちから離れて出ていかないよ うにと引き止めました。 しかし、主イエスは「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わ たしはそのために遣わされたのだ。」と言って、引き止めを断り、ユダヤの諸会堂に行 って宣教されたのです。 主イエスは神の前で祈られた折り、神の御心は人々の肉体を癒すだけではなく、神の 国の福音を広く告げ知らせることだとの声を耳にしたのです。神の御心が支配されると ころに、人々が生きる真の喜びがあり、幸いがあるということです。 主イエスが祈られるとき何よりも、心掛けておられたことは神のご支配を受け入れる ことであったと思われます。多くの人たちの癒しを求める願いを痛いほど感じ取りつつ、 主イエスの心の中には激しい戦いがあったと思われます。そして、最終的には神のご支 配を受け入れられ真の救いの道が開かれたのです。 私たちの教会も、世界にあるすべての教会も、神の御心である神の国の福音を告げ知 らせなければならない務めを担っています。そして、その教会に集う私たちには、肉体 の癒しは起こらないかも知れませんが、私たちは主イエスを救い主と信じることによっ て罪赦され、永遠の命を約束されたものの喜びと希望と恵みのうちに生かされているも のです。 私たちには神の国の福音を告げ知らせる恵みと希望に生きる者の教会がこの上尾の地 に与えられていることに感謝します。主が共にいてくださることに励まされ、聖霊に押 し出されて福音を宣べ伝えて行くものとされるようにと祈るものです。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る