7月27日
2014年7月27日

「神の独り子、イエス 」

創世記 22:1-19 ; ヨハネによる福音書 3:16-21、31-36


『ハイデルベルク信仰問答』

 問い33:「どうしてこの方は神の独り子と呼ばれるのですか?」

 答え:「それは、キリストだけが本来の永遠の神の御子だからです。わたしたちは、

 この方のおかげで、恵みによって、神の子と呼ばれるものとなっているのです。」

使徒信条では、主イエスを「神の独り子」と信じる信仰が告白されています。ニケヤ信

条ではこの一言が、「真の神よりの真の神、神と本質を一つにし」、などとさらに拡大

されています。その背後に、キリストが誰であるかについての激しい論争が初代教会に

あったことを反映していますが、ハイデルベルク信仰問答では難しい三位一体論争に立

ち入ることをしないで、キリストが神の子であることによって、わたしたちもそのおか

げで神の子とされているという恵みの事態に焦点を合わせています。

 主イエス・キリストが神の独り子であるということはどういう意味なのか、それによ

ってわたしたちは何を信じているのかが問われます。社会の常識からすれば、自分のこ

とを神の子と語る人は、誇大妄想の人、精神の異常をきたしている人として信用されま

せん。あるいは、政治的な支配者たちは自分の権威を誇示するために自らを神として崇

拝するようにした歴史は内外にその例を見ることができます。また人並み外れた能力を

示す人のことを神のような人、神の手を持った人などと称賛することもあります。しか

し、主イエスが神の子であるということは、これらのこととは全く異なることは、荒れ

野の誘惑の時、主イエスがサタンを退けられたことの内容を見るとよくわかります。

では、主イエスを神の独り子と信じる中心的なポイントはどこにあるか、次の3点に要

約することができます。1)主イエスが父である神と「本質的同一性」を示し、父なる神

の意思と行為を現すものであること、2)神の御子の働きとして、その身分を固守しな

いで僕のかたちを取り、人間となり、十字架の死を通して、罪ある人間のために贖いを

成し遂げられたこと、3)神の子の派遣とその働きは、信じる者を神の子とし、罪の赦

しと和解、解放と自由を与えること、いずれにしても神の愛、キリストの愛に他なりま

せん。


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