ヨナ書 4:6-11 ; ヘブライ人への手紙 2:5-18
『ハイデルベルク信仰問答』 問35〜36では、主イエス・キリストが「聖霊によってやどり、処女マリアより生 まれ」と使徒信条に告白されている部分の意味が解説されます。「受肉の教理」のエッ センスが解き明かされているのです。ここで強調され明確にされていることは、処女降 誕の不思議さや不自然さの解明ではなく、真の永遠の神である神の御子が聖霊の働きに よって人間の本質を取られたということで、その神の側の働きのためにマリアという母 性が奉仕をしたということです。そのことによって、真の神であり、真の人間であるイ エス・キリストの人格の本質が明らかにされると共に、その本質であるゆえに、“わた し”の罪のために神と人との仲介者となってくださることができる、そのような“益” がもたらされることになったと、聖書が語る真実を明らかにしています。 使徒信条にしても、ニケヤ信条にしても、基本信条に表される人間の名前は主イエス のほかにはマリアとポンテオ・ピラトという二人の名前だけです。この二人の人間と主 イエスとの関わりは象徴的です。生涯の初めと終わり、その生と死に決定的にかかわっ た人たちです。その関わりは彼らにとって重要であったというだけでなく、この二人は 神人との関わりの在り方を象徴する全人類を代表する人物ということができます。マリ アの存在と彼女が主イエスの生涯に関与し働いたその働きはこのように大変重要です。 マタイによる福音書やルカによる福音書に示されるクリスマス物語を通して知らされる 処女マリアの愛と信仰、またイエスの死の悲しみに立ち会った母マリアの涙などを思う と、わたしたちの感情は深く動かされます。しかし、このマリアが、神を宿した人間と して神聖な存在へと高められ、その執り成しを祈り求めるといった方向に発展するのは 見当違いと言わなければなりません。聖書が強調して伝えていることは、マリアを通し て人間が神化されることではなく、神の側が低く降られ、人間となられたということで す。「しかし、時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者と してお遣わしになりました」(ガラテヤ4:4)、「イエスは、神の御前で憐れみ深い 忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟と地と同じようになら なければならなかったのです」(ヘブライ2:17)。この神の「ねばならない」の意味 を問うことが、処女降誕の奇跡を解明する本旨です。
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