詩篇 51:3-14 ; ガラテヤの信徒への手紙 30:10-14
ハイデルベルク信仰問答 問39:「この方が十字架につけられたことは、そのほかの死に方と比べて、何か 特別な意味があるのですか?」 答え:「その死によって、この方はわたしたちに負わされた呪いを御自身で代わっ て担ってくださったということを、わたしは確信できるからです。十字架につけら れて死ぬということは、神に呪われた者となったということを意味するからです。」 キリスト教の福音の中心は主イエス・キリストの十字架と復活にあることはよく知 られていることですが、その十字架がわたしにとって何を意味するのか、その奥義を 正しくとらえることは容易ではありません。どの福音書も、主イエスが十字架の死に 至る歩みをどのように歩まれたかを記しながら、神の子イエス・キリストがどうして 十字架につけられることになったのかの謎を解き明かし、伝えたいという意図が隠れ ていますし、パウロの手紙なども、キリスト・イエスの十字架の死がわたしたちの救 いとどのようにかかわるのかを明らかにし、キリストを信じる信仰の告白へと促して います。しかし、その意味は深遠で、確実にその真理に到達するには、聖霊の助けな しには不可能です。一貫して語られていることは、主イエスの十字架の死は「ポンテ オ・ピラトのもとに十字架につけられた」死であることは確かですが、それは、主イ エスに対して民衆の間で高まっていた期待を当時のユダヤの宗教的・政治的指導者た ちが妬み、あるいは危機感に駆られて、処刑した死などではない、ということです。 パウロは、「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉に おいて罪を罪として処断されたのです」(ローマ8:3)、「罪と何のかかわりもない方を、 神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得 ることができたのです」(2コリント5:21)と語ります。その中で最も激しい表現が、 「キリストはわたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖いだ してくださいました」(ガラテヤ3:13)です。キリストの十字架は、わたしたちの 罪に対する神の怒り、神の裁き、呪いから贖いだすための代償、身代わりとしての死 であって、それはわたしたちに対する神の愛を示すもの、というのです。「呪い」と いう言葉の重みがわたしたちに迫ってきます。
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