9月21日
2014年9月21日

「 神の子の死の必然性 」

創世記 2:4b-17 ; ヘブライ人への手紙 2:14-18


 ハイデルベルク信仰問答

 問43:「キリストが十字架によって死なれ、贖いの供え物となられたということ

 から、さらにわたしたちはどのような益をいただくことができるのですか。」

 答え:「それは、主の御力によってわたしたちの古き人は彼と共に釘づけられ、死

 んで葬られて、肉のもたらす悪しき欲望は最早わたしたちを支配することなく、自

 らを感謝の献げものとして主にささげるようになることです。」

 問44「どうして『陰府に下り』という言葉が添えられているのですか」

 答え:「それは、わたしが極度の試練に遭う時にも、わたしの主であるキリストが

 十字架において、また、それ以前にもご自分の魂に受けられた口に言い表せないほ

 どの不安と悲しみ、恐れを通してわたしを捉え、地獄の不安と苦しみから解放して

 くださることを確信するためです。」

 「ハイデルベルク信仰問答」の問い40〜44では、キリストの十字架の死の必然

性についで解説していますが、問43〜44で、その死によって神に義とされ、罪か

ら断絶して生きる道を示された私たちが、新しく生きる方向が明らかにされます。罪

と死の法則に縛られて生きている生活から、自らの体を感謝のささげものとして生き

る生活への転換です。要するに、洗礼の恵みにあずかり、聖餐にあずかって主の体と

血によって養われ、主と共に復活の命に生きる生活へと変えられる、キリストの十字

架の死は、そのような方向転換、回心の益をわたしたちにもたらすのです。

 使徒信条の、キリストの死を表現する最後の言葉「陰府に降り」について、この言

葉の解釈には伝統的に大きな開きがあります。1ペトロ3:18−22,4:6に従

ってキリストが死者の国にまで降られて宣教されたことを強調する解釈と、キリスト

が十字架上で神から見捨てられるほどの肉体だけでなく魂においても極度の苦しみを

味わわれたたことを中心に考える解釈と、大きく分かれます。しかし、両方の解釈は、

共に、主イエスの死と苦難がもたらす恵みが、わたしたちの絶望と死、罪と裁きの、

更に果てにまで及んでいることを示しています。その恵みは地獄にまで及ぶ、という

のです。


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