10月12日
2014年10月12日

「 キリストの昇天 」

詩篇 139:1-10 ; 使徒言行録 1:3-11


 ハイデルベルク信仰問答

 問46:「キリストは『天に昇られた』ということをあなたはどのように理解しま

 すか?」

 答え:キリストは弟子たちの目の前から天に上げられ、生きている者と死んだ者を

 裁くためにそこから再び来られるときまで、わたしたちのためにそこにおられると

 いうことです。」

 わたしたちの主イエス・キリストは十字架にかかり、三日目に復活した後、40日

にわたって御自身の姿を現された後、天に昇られたと伝えられています。使徒信条で

は復活の後、天に昇り、全能の父なる神の右に座し、そこから来られて生ける者と死

せる者とを裁かれる、と復活後のことについて多くの言葉が連ねられています。「ハ

イデルベルク信仰問答」は復活についての問答は一つだけなのに対して昇天について

の問答は4つもあって、キリストの昇天はわたしたちの信仰にとって極めて重要だと

いうことに気づかせてくれます。見ている人の目の前で「昇天」して雲に包まれて見

えなくなったというような出来事が、どうしてそれほどに重要なのか、それは、過去

の歴史的な主イエス・キリストと現在の主イエス・キリストとの関わりの在り方はど

のようであるのか、「世の終わりまでわたしはいつもあなたがたと共にいる」と約束

して下さったその約束が実現される在り方はどのようなものであるのかに関わってい

るからです。

 主イエスの昇天の具体的な情景を伝えているのはルカによる福音書と使徒言行録だ

けですが、他の福音書やパウロの手紙などでは、「高く上げられた」と記されていて、

復活と昇天は同じ意味を持つものとして扱われています。それは、ナザレのイエスに

起こった奇跡的な出来事として重要なのではなく「キリストは…わたしたちのために

そこにおられます」と語られるように、そのことによってわたしたちとキリストとの

関わりの在り方が新しい時を迎えることになったことを意味します。キリストはこの

地上でも地下でもなく、天におられるということは、見えるかたちでの関わりの時は

終わり、聖霊によってキリストをわたしたちの内で経験し、証しすると共に、わたし

たちの体の一部、頭を、確かに天に持っていることも意味します。ですから、わたし

たちは絶えず地上のものではなく上にあるものを見上げて生きるのです。


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