出エジプト記 6:28-7:7 ; 使徒言行録 14:8-18
イスラエルの民をエジプトの奴隷の家から導きだし、乳と蜜の流れる地カナンに導 き上った神の人モーセの働きは、旧約聖書の登場する人物の中でも突出しています。 エジプトの王ファラオとの息の詰まる交渉にしても、紅海を前にして海を二つに分け、 マナを天から降らせ、奇跡の連続で、まさに神が呼び出し、神に用いられた人でなけ れば果しえない働きをしました。しかし、興味深いことに、モーセは神に呼び出され て「今、あなたをエジプトにいて苦役の中で叫んでいるイスラエルの民のために遣わ す。行きなさい」との声を聞いたとき、何度も、何度も、神に逆らって従おうとしな かったことが聖書には記されています。どうして素直に神に従えなかったのか、その 不信の姿を追ってみましょう。 「わたしは何者でしょう。どうしてファラオのもとに行き、イスラエルの人々をエ ジプトから導き出さねばならないのですか」(出エジプト3:11)。モーセは神に知られ ている自分であることを忘れています。神様に命を与えられ、賜物を与えられ、神様 の必要のために召されているにもかかわらず、自分に捉われているのです。また、モ ーセは、自分がイスラエルの民に向かって語っても、「主がお前などに現れるはずが ないと言って、わたしの言うことを聞かないでしょう」(4:4)と同胞からも信用 のない人間だと思われていることを恐れています。確かに、彼には過去の傷がありま す。更にモーセは、「ああ、主よ、わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あ なたがお言葉をくださった今でもそうです。全くわたしは口が重く舌の重い者なので す」(4:10)と、今度は自分のコンプレックスを持ち出して神に逆らうのです。 モーセが神の呼び出しに逆らう姿はわたしたちの不信の姿をよく映し出しています。 神は、そのモーセに対して実に忍耐強く、「わたしが必ずあなたと共にいると約束し、 「わたしはある、わたしはある」とご自身の名を明らかにするだけでなく、モーセを 動かす最後の切り札として、「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか」 と、アロンを召し出し、この大きな神の働きに加わらせるのです。神様は、このよう に、一人の人を呼び出し、不信や弱さを覆い、すべてのものを整えて、主の働きに用 いられます。
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