詩篇 110:1-7 ; エフェソの信徒への手紙 1:15-23
ハイデルベルク信仰問答 問い50:その後に、「神の右に座したまえり」と付け加えられているのはなぜです か? 答え 答え:キリストが天に昇られたのは、そこにあって、自らがキリストの教会 の頭としてあることを示されるためでした。その教会を通して、御父はすべてを治め られるからです。 問い51:キリストがわたしたちの頭であられるというこの栄光は、わたしたちにど んな益がありますか? 答え:第1に、キリストはご自身の聖霊によって肢体であるわたしたちに天からの 賜物を注いでくださること、それにともなって、キリストはご自身の力をもってわた したちのためにすべての敵対する者に対して守りとなり、また支えとなってくださる、 ということです。 使徒信条の第二項、主イエス・キリストの歩みについての最後は、昇天に続き、 「全能の父なる神の右に座したまえり」と告白されます。主イエスが今どこにおられ るかについての告白ですが、これは聖霊の光に照らされてわたしたちの信仰の目が開 かれなければ見えないことで、ここでこそ、わたしたちと主イエスとの関わりが最も 現実的になるところです。 新約聖書で神の右の座に着かれたキリストのことについて記されているところを詳 しく見ると、詩編110:1のダビデに語られた言葉がカギになっていることが分かりま す。聖霊を受けたペトロが人々に福音を伝えるようになった最初の説教で、この詩編 の言葉を根拠にして、「だからイスラエルの全家は、はっきりと知らなければなりま せん。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさ ったのです。」と語っています。復活し昇天したイエスとこの詩編の言葉との結びつ きが、メシアであることを確信する決定的な根拠となっています。「神の右の座」は、 場所や位置を示すものではなく、キリストの権威や支配のことを表します。従って、 全地がキリストの支配のもとに服していることを信じ告白しているのです。神の右に いますキリストは、また、罪の赦しと贖いを成し遂げた主として、全能の父の御前で 罪の執り成しをし、聖霊を世に送って、主の支配とを罪の赦し、救いの業を進めます。 教会はこの主を頭とする体なのです。
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