イザヤ書 60:1-6 エフェソの信徒への手紙 3:1-12
「イエス・キリストの囚人となっているわたしパウロは…」という重い言葉で始ま るエフェソの手紙の3章には、パウロが伝えているキリストの福音がどれほど貴重な ものであるか、また、それを伝える務めを担っている者がどれほど光栄なことである かが強調して語られています。キリストによって起こされた事態は、「神の秘められ た計画」、「キリストによって実現された計画」であって、「この計画はキリスト以 前の時代には人の子らには知らされていなかったが、今や“霊”によって、キリスト の聖なる使徒たちや預言者たちによって啓示された」ものだというのです。重く厚い ベールに包まれていた神の計画がキリストによって今や明らかになり、その実現を見 ているのだということ、それを伝える務めを担うという恵みは「聖なる者の中で最も つまらないものである私に与えられました」と、その感動を表しています。 これほどまでに重要な「神のうちに秘められていた計画」、今やキリストにおいて 実現した計画とは何か、それは、「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて 約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐもの、同じ体に属する者、同じ約束に あずかる者となる」ということです。エフェソの手紙では、1章で神の秘められた計 画とは「天にあるものも、地にあるものも、キリストのもとに一つに集められる」と いうことでしたし、2:16では「二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意 という隔ての壁を取り壊し、十字架を通して両者を一つの体として神と和解させ、十 字架によって敵意を滅ぼされました」と語られていました。今や、すべてのものがキ リストのもとに一つにまとめられ、この和解の事態が起こることの具体的な実現のか たちを、異邦人が同じキリストを頭とする教会に連なるものとなり、同じ約束にあず かるものとなるところに、見ているのです。この事態は世の終わりに完成する神の秘 められた計画の先取りとみなされているのです。 考えてみれば、わたしたちも異邦人であり、わたしたちの教会でも様々な国や文化 を背景にした者が一緒に礼拝しています。そもそも、福音とは全く無縁であったもの が一緒に集められて共に礼拝しています。その事態が、それほどに稀有なことであり、 光栄な終末的事態であることをどれほど私たちは自覚しているでしょうか。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る