1月25日
2015年1月25日

「 聖霊の業としての教会 」

申命記 7:6-15 コリントの信徒への手紙一 12:1-26


『ハイデルベルク信仰問答』

 問い54:「聖なる公同のキリスト教会について、あなたはどのように信じますか?」

 答え:「神の御子がみ言葉と御霊とをもって全人類の中から真の信仰の一致において

永遠の命を与えてくださる共同体を選び出し、世の始めから世の終わりにいたるまで守

り支えてくださるということです。また、わたしは園の共同体の生きた肢体であり、永

遠にそのつながりにおいて結ばれているということです。」

 「ハイデルベルク信仰問答」では教会についての問答は一つだけですが、教会につい

て確認しておかなければならないことは沢山あります。まず、使徒信条では「聖霊を信

ず」に続いて「聖なる公同の教会を信ず」と聖霊と教会とは並列的になっていますが、

「教会を信ず」は聖霊を信じる信仰に従属するものであることを知らなければなりませ

ん。聖霊を信じるところから、教会を信じ、聖徒の交わりを信じ、罪の赦しを信じ、永

遠の命を信じることへとつながってゆくのがわたしたちの信仰だと告白しているのです。

聖霊である神は、このようにわたしたちの中で、父なる神と御子キリストを啓示し直接

的なかかわりをもってわたしたちと交わりをもってくださるのです。

 教会は、わたしたちが聖書の言葉を学び、わたしたちの信仰を養い、わたしたちに交

 わりの機会を与え、わたしたちのために、わたしたちが作りだした必要な機関、また

手段としてあるのではなく、「神の御子がみ言葉と御霊とをもって全人類の中から選び

出してくださった共同体」であって、教会の主体はわたしたちではなくキリストだとい

うこと、このことが教会の本質を表しています。教会はキリストによって呼び集められ

選び出された共同体ですが、それは単なる烏合の衆ではなく、「キリストの血によって

ご自分のものとなさった神の教会」(使徒言行録20:28)です。ただならぬ神の愛

の対象とされたもの、主イエス・キリストの死と復活にあずかってキリストと一体とさ

れたものです。現実の人間の集まりとしての教会は人間の弱さと罪、高揚と生気に満ち

たときもあれば停滞と堕落によって真の教会の姿が消え失せることも経験します。しか

し、実に教会の頭であり主であるキリストはその罪と弱さにおいて生きていることを表

されます。  教会を信じることは、外にある信ずべき対象としてあるのではなく、わ

たしが、その肢体の一部であることを確認することです。


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