2月1日
2015年2月1日

「 教会を一つにする聖霊 」

ネヘミヤ記 8:1-3,9-12 エフェソの信徒への手紙 4:1-16


 使徒信条の中では、「聖なる公同の教会を信ず」と教会についての信仰を言い表して

いますが、ニケヤ信条では「一つの、聖なる、公同の、使徒的な教会を信じます」と告

白しています。教会が真のキリストの教会であるための最も古典的な標識がこの4つの

言葉の中に凝縮されていることを学び、そこからわたしたちの教会の信仰とその働き、

その生き方を確認しなければなりません。教会が一つであると信じるということは、世

界中に広がり、様々な異なる民族、文化、言語、社会階層、性別、伝統などあらゆる種

類の違いを含みながら、キリストの教会は一つであると信じるということです。教会が

一つと信じることは、現在生きている者だけでなく既に召された者も、これから生まれ

る者も加えられた一つのキリストの体だと信じるのです。「洗礼を受けてキリストに結

ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギ

リシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、

キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:27〜28)と記されている通り

です。教会が一つであるのは、同じ言葉や同じ民族だからではなく、また同じ趣味や思

想を持つからではなく、「キリスト・イエスにおいて一つ」であること、主キリストにあ

って「神に招かれた者」として一つであることを深く学ばなければなりません。「神か

ら招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み…霊による一致を保つように努めな

さい。体は一つ、霊は一つ…主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父で

ある神は唯一であって…」(エフェソ4:1以下)とわたしたちが一つであると信じる

土台と根拠が明らかにされています。

 しかし、現実の教会は分派があり、教派の対立があり、信仰のゆえに戦争さえしてき

た歴史があり、その事態は一向に解消していません。世界も一致と和解、平和を求めな

がらその熱意と目的は裏切られ続けています。いやむしろ、一致と平和を求める故に抑

圧と抵抗、強制と新たなる分裂抗争が起こるのです。キリストの体に連なる者の一致と

いう教会の一致の概念は、一つの体に多くの肢体がある「多様性における一致」の優れ

たアイデアを示しています。約束されたキリストの体の一致は未だ途上にありますが、

何よりも和解の主の霊による一致の基本に立ち返ることでなければなりません。


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