2月22日
2015年2月22日

「 教会の公同性について 」

エレミヤ書 1:4-10 使徒言行録 15:1-21


 教会が真のキリストの教会であるための最も古典的な標識として「一つの、聖なる、

公同の、使徒的な教会」という4つの標識がニケヤ信条で言い表されています。三つめ

の標識「公同の教会を信じる」ということはどういうことなのでしょう。「公同」と表

現されるのは「カトリック」という言葉で、ローマ・カトリック教会の名称は良く知ら

れています。しかし、わたしたちのプロテスタント教会も、教会がカトリックであると

信じるのです。カトリックとは、「普遍的(universal)なもの」、あるいは「全体的(general)

なもの」という意味で、古代教会の教父たちは、使徒から受け継いだ正しい信仰はセク

ト的・分派的なものではなく、異端とは区別して普遍性・共通性を持つものであること

を表明しています。「これこそわれわれすべての母であって聖なる教会の特徴的な呼称

である」(エルサレムのキュリロス)というのです。教会がカトリック性を持つというこ

とは、教父によれば、1)地域的に全世界に広がりを持ち、特定の地域だけにとどまるも

のではないこと、2)教会の教える教理は普遍的なものであり、個人的な思い込みのよう

なものではないこと、3)あらゆる人種、言語、文化、社会的階層、教育、性別の違いを

超えて真の経験に導くものであること、4)体と魂の犯すあらゆる罪と向き合い、癒し、

言葉と行いにおいてあらゆる美徳を保持する、このような教会がどこでもいつでも見ら

れることを意味する、と言います。つまり教会は、地域的や社会的な障壁を超えてどこ

でも信仰や礼拝のかたち、伝道、生活の仕方において同質の集団となるように努めてき

たのです。中世の神学者トマス・アクイナスは「アベルの時から始まり、世の終わりま

で存続する」のが公同の教会だと主張します。時代的な隔たりも越えるものだと教える

のです。

 このような教会のカトリック性は、人間的な強制や統一によって果たされるもではな

く、父・子・聖霊なる三位一体の神の交わりの中に加えられることによって実現される

もの、聖霊の賜物であると言わなければなりません。教会の現状は、一つの公同の教会

とは大きく隔たった、分裂した状況にあるのは事実です。しかし、主イエス・キリスト

と一体にされることを絶えず求めて、独善性を退け、カトリック性を回復することに向

かう途上にあることを忘れてはなりません。


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