4月5日
2015年4月5日

「民に宣べ伝え、力強く証しせよ 」

イザヤ書 25:6-9 使徒言行録 10:34-48


「主はよみがえられた。まことに、主はよみがえられた」と教会は心を込めて主イエス・

キリストの復活の事実を高く歌い、わたしたちのために朽ちることのない命の道が開か

れたことを祝います。しかし、復活の出来事が語り伝えられるとき、疑いと驚き、不信

と隠ぺいの厚い壁が打ち破られなければなりません。ペトロがローマの百人隊長コルネ

リウスの一家と友人たちのいるカイサリアを訪ねて語った宣教の言葉は、福音がユダヤ

人だけではなく異邦人にも受け入れられ、教会がユダヤ民族の壁を破って世界の宗教へ

と展開してゆく最初の突破口となりました。この説教には、福音を証しする二つの段階

があることに気づかされます。ペトロは、まず、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起

こった出来事として、主イエスが「方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられて

いる人たちをすべて癒された」ことを伝え、このイエスこそ、神が聖霊と力によってメ

シアとされた人だ、神がご一緒でなければ起こりえなかったことを自分はこの目で見た

と、ペトロ自身の目で見て、信じたことの証人として語っています。ところが、このよ

うな力強い働きをしたイエスを「人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神

はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現して下さいました」と十字架と復活の

出来事を伝えるところでは、少し違ったニュアンスで自分がその「証人」であることを

伝えています。復活の姿を示されたのは、「民全体に対してではなく、前もって神に選

ばれた証人、つまり、イエスが死者から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに

対してです」、と語って、確かに、ペトロは復活の主と一緒に食事をしたその主の目撃

証人ですが、十字架と復活の出来事とその意義については、特別な主御自身からの命令

として語るべきこととして伝えています。「イエスは、ご自分が生きている者と死んだ

者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しする

ようにと、わたしたちにお命じになりました」と。そして、それゆえに、「この方を信

じる者は誰でもその名によって罪の赦しが受けられる」、と証しするのです。単に自分

の目で見て感動した事実の証言だけでなく、十字架と復活によって人知を超えた圧倒的

な神の御業と、神が備えてくださった罪の赦しの道を証言することは、自分自身の観察

や確信を超えて、神が成し遂げてくださった事実を、神の口となって語る者となってい

るのです。


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