ミカ書 6:6-8 ローマの信徒への手紙 12:3-21
『ハイデルベルク信仰問答』:問い55:「聖徒の交わり」のことを、あなたはどのよ うに理解していますか?」 答え:「第一に、すべての、どんな信仰者とも、主であるキリストに連なる肢体として、 その富と賜物とを共有する仲間となっているということです。第二に、それぞれに与え られた賜物は何であれ、他の肢体の必要と救済のために自ら進んで、喜んで与える責任 があることを知らなければならないということです。」 使徒信条によって告白するわたしたちの公同の信仰の第三項、聖霊を信じ、聖なる公同 の教会を信じることに続いて「聖徒の交わりを信じる」という言葉があります。ハイデ ルベルク信仰問答では、キリストの教会の仲間に加えられた者は、すべての賜物と富と を共有する仲間になっていること、また、喜んで自分の賜物を仲間のために差し出す責 任、そのような連帯の中で歩むべき教会の交わりが示唆されていいます。使徒言行録に 記されている初代のキリスト者の生き方、「彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを 裂くこと、祈ることに熱心であった。…信者たちは皆一つになって、すべての物を共有 にし、財産や持ち物を売り、各々の必要に応じて、皆がそれを分け合った」(2:42,44f.) が想起されます。 このような交わりが可能になるために、その土台となるべきことが確かにならなければ なりません。「聖徒の交わり」は原文のラテン語では「聖なる物との交わり」と「聖な る者との交わり」の両方の意味にとることができ、どちらを採るべきかが議論されてき ました。キリスト者の交わりは、人間の交わりが成立する前に、確かに、御言葉やサク ラメントによって主イエス・キリストとの生きた交わりがあって、罪を赦され復活の命 にあずかる者とされ、キリストの体に合わされることがなければ、「聖徒の交わり」もあ り得ません。聖徒の交わりには、父なる神との交わり、主イエス・キリストとの交わり、 そして聖霊の交わり、すなわち、三位一体の神との交わりに生かされた交わりがあるの です。 「交わり」(ギリシャ語の“コイノーニア”)という言葉の豊かな深い意味の広がりが あることも理解したいと思います。「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリスト の血にあずかることではないか…」の「あずかる」、「キリストとその復活の力を知り、 その苦しみにあずかって、その姿にあやかって…」、この交わりです。
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