創世記 15:1-6 ローマの信徒への手紙 3:21-31
『ハイデルベルク信仰問答』問い59: 「それでは、これらすべてを信じると、どのような救いをあなたは得られるのですか。」 答え:「わたしが神の御前にあって義とされ、永遠の命を受け継ぐものとなることで す。」 問60:「どのようにして、神の御前で義とされるのですか。」 答え:「ただひとえに、イエス・キリストを信じるまことの信仰によってです。とい うのは、わたしの良心がわたしは神の戒めのすべてに背き、まことに罪深い者で、全く 正しい行いをしておらず、いつもあらゆる悪に傾く者だと責め立てても、神は、わたし の側には何の功績もないのに、キリストの完全な償いと義と聖性を、全くの恵みによっ てわたしに得させてくださり、そのように見なして下さって、わたしが何一つ罪に触れ たことも犯したこともなく、キリストがわたしのために成し遂げてくださったことをす べて、わたしが従順に成し遂げたかのようにして下さいました。わたしがその恵みの業 を心から信じ受け入れさえすれば、そのようになるということです。」 「ハイデルベルク信仰問答」の使徒信条の講解が終わったところでこの有名な問答が 置かれています。この言葉の一つ一つをよく味わい、心に刻み、わが内なる言葉となる ようにすること、この土台の上に立ってキリスト者の信仰と生活が展開されなければな りません。また、教会は、この信仰が明確に証しされているか否かによって立ちもし、 倒れもします。「全くの恵みによって・信仰によって」という言葉がキイ・ワードです。 「生きる時も、死ぬ時も、ただ一つの慰めは何か」という問いから始まったこの信仰問 答全体の中心もここにあります。人間の罪と悲惨がどんなに深いかについて、「わたし は本性からして神と人とを憎む傾向がある」と認識する言葉がありました。また、その ような罪から解放されるためには、まことの信仰によってイエス・キリストを信じるこ とだと語られました。まことの信仰とは何かが問われて、使徒信条の内容が講解されま した。それらのすべてを受けて、ここにまことの信仰と呼べるものの内容が味わい深い 言葉で言い表されているのです。ここにわたしたちの信仰があり、救いがあります。
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