5月31日
2015年5月31日

「福音の説教と聖礼典を通して 」

エレミヤ書 31:27-34 ローマの信徒への手紙 10:5-17


 『ハイデルベルク信仰問答』問65:「キリスト信じる信仰によってのみキリストと

そのすべての御業にあずかることができるとしたら、そのような信仰はどこから来るの

ですか?」

 答え:「聖霊が、聖なる福音の説教によってわたしたちの心に働きかけ、聖礼典を用

いることによって確信させてくださるのです。」

 宗教改革は形骸化し習慣化した信仰を本来の姿に復興させ活性化することを目指す運

動でしたから、そのような信仰の回復はどこから来るのかという問いは切実なものでし

た。それは、今日わたしたちの教会でも同じ切実さを持っています。この信仰問答は信

仰義認についての教えを語った後、この信仰はどこから来るのかと問い、わたしたちの

中で信仰が現実化し活性化する正しい通路はどこにあるかを明らかにしています。ここ

に示されている道をよくわきまえることが肝心で、この途中で立ち止まったり、別の道

に迷いこんだりすると、福音となるべき言葉が律法に逆戻りし、信仰が閉塞し、本来表

すはずの活力と実りをもたらしません。

 その答えは明白です。生きた信仰となるのは、御言葉と聖礼典によるというのです。

この答えの主語が「聖霊が・・」となっていることによく目を留める必要があります。

真の信仰が伝達され、わたしのものとなり、新しく生まれさせ、永遠の命にあずからせ

るものは、わたしの知識や経験の深まりではなく、聖霊なのです。「あなたがたがわた

しを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだのだ」と主は語られます。その主

の導きにあずかることなしには信仰は一人よがりにすぎなくなります。

 また、「御言葉と聖礼典を用いることによって」ということは、要するに教会で礼拝

の交わりに加えられることによってと語られるところですが、「聖なる福音の説教によ

ってわたしたちの心に働きかけ、聖礼典を通して確信させてくださる」とあえて語られ

ています。御言葉は生きた人の口を通して語られる御言葉、説教が命に導くカギを握っ

ていること、聖礼典は御言葉によって語られたことを「確証する」こと、すなわち、主

イエス・キリストが十字架において成し遂げてくださった贖いと罪の赦し、永遠の命の

約束がたしかにわたしに贈られていることを一層よく理解させ刻印するものであること

を明らかにしています。


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