詩篇 46:2-12 マタイによる福音書 6:1-8
主イエス・キリストがこの世界でわたしたちに成し遂げてくださった大切な働きの一 つは、わたしたちに祈りを教えてくださったことです。人は祈ります。世界中の民族や 宗教には祈りがありますが、真実の祈りとは何かを教えられるのです。主イエスは、真 実の祈りと偽善者の祈りがあると言って、二つの例を挙げています。その一つは、人に 見てもらおうと思って会堂や大通りの辻に立って祈る祈りに対して、奥まった自分の部 屋で祈る祈りを挙げています。これは、ただ祈る場所の違いを言っているのではありま せん。人に見せるための祈り、人に聞かせるための祈りになってしまって、神様と向か い合うことのない祈りとなる危険が、わたしたちの祈りには常に潜んでいることを教え ています。祈りはみんなが集まる礼拝の中で、みんなと一緒に祈ることは当然すべきこ とですが、わたしたちの祈りは、何よりも、「隠れたところにおられるあなたの父に祈 りなさい。そうすれば、隠れたところを見ておられるあなたの父が報いてくださる」と、 そのような天の父との1対1の向かい合いのことであることを教えられます。 二つ目の例えは、「あなたがたは祈る時、異邦人のようにくどくどと述べてはならな い。異邦人は言葉数が多ければ聞き入れられると思い込んでいる」と教えて、人がどれ だけ長く、どれだけ熱心に、どれだけ言葉数を多くするかによって祈りの効果がきまる というような、人間の独り相撲のような祈りを戒めています。主イエスは、「あなたが たの父は、願う前からあなたがたに必要なものはご存じなのだ」と、力強く慰め深い言 葉を語られるのです。これはわたしたちの祈りの姿勢を考えるとき、大転換となるべき 言葉です。人間の祈りは、何者かわからないが、とにかく神に向かって、わたしたちの 必至の願い、すがりつく思いで、闇雲に言葉を発しているようなところがあります。と ころが主イエスは、わたしたちの天の父は、わたしたちが祈るより先にわたしたちの思 いを知っておられ、わたしたちの祈りを待っている方なのだと教えられるのです。肝心 なことは言葉数ではなく、天の父に対する信頼なのだ、と。 主イエスが祈りについて語られる時、何よりも「あなたの天の父」がおられること、 その父は、わたしたちのすべてを知っておられ、すべての必要を知っておられる父であ ること、その父との心からの交わりが祈りであることに目覚めさせられます。
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