エレミヤ書 17:1-4 テトスの信徒への手紙 3:1-7
『ハイデルベルク信仰問答』 問い73:「それでは、どうして聖霊は洗礼のことを『新たに造かえる洗い』とか、 『罪からの洗い』というのですか?」 答え:「神がそのように言われるのには、大きな理由があります。すなわち、神はわ たしたちの罪をキリストの血と霊によって取り除かれるということを教えてくださる ばかりでなく、これによって、更に、神からの保証を確かな印と刻印して下さるので、 水によって身体的に表れるように、わたしたちの罪は霊的に洗い流されることを確か めることが出来るのです。」 この問答では、洗礼によって、主イエス・キリストの恵みが現実的・実際的にわたし たちのものとなるという奇跡、見えない霊的な世界のことが、洗礼の行為によってわた しの生活の現実となり、見えるものとなるというサクラメントの意義と保証が確認され ます。 ヨハネによる福音書3章にファリサイ派の指導者のニコデモと主イエスのどこかかみ 合わない対話が記されています。ニコデモが主イエスのことを「わたしどもは、あなた が神から来られた教師であると知っています」と語るのに対して、主イエスは「人は新 たに生まれなければ神の国を見ることはできない。…だれでも水と霊によって生まれな ければ神の国を見ることはできない」と言ってニコデモは戸惑うばかりとなっています。 この関連で「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じ る者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という言葉が語られています。 ここで主イエスは暗に洗礼のことを語っています。その心は、ニコデモがあくまで自分 の認識の枠の中で主イエスの存在を認めるのに対して、主イエスは、水と霊によって主 イエスのうちにあるものを注ぎいれていただくのでなければ、神の国を見ることも、入 ることもできない、すなわち、洗礼を受けることなしには、主イエスを信じ、神との命 の交わり・永遠の命にあずかり、神の国に入ることはできないことを教えています。主 イエスは、ニコデモの死と共に終わってしまうような命の交わりを与えるより、はるか に大きな命を与えることが出来る方だということを示しています。洗礼は「新たに造り かえる洗い」と言われるほどに、根源的・全体的、この世の命から永遠の命への転換と 改変を保証すると教えられます。「わたしは洗礼を受けている」何と大きな惠み!
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