7月12日
2015年7月12日

「幼児の洗礼について 」

創世記 17:1-14 使徒言行録 16:25-34


『ハイデルベルク信仰問答』

 問い66:「聖礼典(サクラメント)とは何ですか?」

 答え:「それは、神が制定してくださったもので、わたしたちの目に見える形で示さ

 れた、真の聖なる標識、また、しるしです。それらを用いることによって、福音によ

 って約束されていること、すなわち、キリストが十字架において唯一の犠牲の供え物

 としてご自身ささげて成し遂げてくださった、罪の赦しと永遠の命とを、恵みによっ

 てわたしたちに贈ってくださることを、一層よく理解させ、刻印してくださるもので

 す。」

 み言葉が正しく語られ聖礼典が正しく施行されることは、教会が立つか倒れるか、そ

の死命を決する重要な課題です。それらを通して主イエス・キリストを通してあらわさ

れた救いの福音が聖霊によって正しく伝達され、信仰を起こすものであるからです。聖

礼典とは何かの問いに答えることは、16世紀のハイデルベルクにおいても、今日の日本

の教会においても緊急の課題です。

 ここで強調されている重要なポイントがいくつかあります。サクラメントは、「聖な

る標識、またしるし」であって、福音で伝えられていることを「一層よく理解させ刻印

して下さるもの」といわれます。目に見えるしるしとして示されている背後には大きな

意味が隠されています。しるしを窓口としてその奥にある深い真理と命にあずかること

を知らなければなりません。また、聖礼典、洗礼と聖餐は「神が制定して下さったもの」

です。人間が自分たちの必要や効果を狙って設けた制度や習慣ではありません。主イエ

ス御自身が、「このように行いなさい」と命じられたことを代々の教会は守っているの

ですから、時代や風潮に合わせた人間の感覚によって、その意味を変えたり、勝手な執

行をするものではありません。

 そして何よりも、ここで強調されていることは、サクラメントを通して、「キリスト

が十字架において唯一の犠牲の供え物としてご自身をささげて成し遂げてくださった、

罪の赦しと永遠の命とを、恵みによってわたしたちに贈ってくださる」この中心的な意

義を捉えなければなりません。「聖霊は、福音によって教え、聖なる礼典(サクラメント)

を通して、十字架においてわたしたちのためになされたキリストの唯一の犠牲に、わた

したちの救い全体がかかっていることを確信させてくださるからです。」と語られる通

りです。主イエス・キリストを通して示された神の熱情、罪人を赦し、永遠の命を得さ

せ、正しい交わりに導いて下さる確かな保証なのです。


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