1月24日
2016年2月7日

「盗んではならない」

申命記 24:14-22 ルカによる福音書 16:14-31


 問110:「第8の戒めによって神は何を禁じておられるのですか?」

 問111:「この戒めによって神はどうせよと命じておられるのですか?」

 ハイデルベルク信仰問答の十戒の解説は、それぞれの戒めが制止的・禁止的な側面

と、この戒めによって肯定され推奨される生き方とは何かの両側面を明らかにします。

第8戒:『盗んではならない』は、ただ官憲によって罰せられる盗みや強盗だけでな

く、不正な秤や升、物差しを用いてはならないと、権力者が貧しい者から搾取する手

段について言及するだけでなく、時間や健康を浪費する生き方、怠惰や乱脈の生活に

ついてもこの戒めがカバーすることを教えています。この戒めの積極的な側面は、要

するに、「自分にしてほしいと思うことを人にもその通りにしなさい」と言う主イエ

スの黄金律に従うことだと教えます。このようにして、『盗んではならない』という

戒めがカバーするわたしたちの生活領域を明示し、主イエス・キリストによって罪を

贖われ解放された民が生きるべき自由の空間のありかを示しています。第8戒がカバ

ーする領域は、現在ではさらに広がって、労働の時間や社会的格差を広げる様々な施

策、エネルギーや資源の独占、大気や生物環境の破壊をもたらす様々な営みなど、グ

ローバルな政治・経済・社会のあらゆる領域に関わり、複雑なものとなっています。

わたしたちは誰一人として、意識するとしないとにかかわらず、『盗んではならない』

という戒めと無関係に生きられない存在となっています。

 旧約聖書と新約聖書を通して、第8戒がどのように人の心に響き、活かされている

かを眺めると、そこには独特の傾きがあることに気づかされます。旧約聖書では、申

命記24章に見るように、貧しく権力のない人々の社会に横行する盗みや犯罪に対し

てではなく、寄留者や孤児、寡婦の権利をゆがめてはならない、とか搾取してはなら

ないと、反対に権力をもって社会を自分の都合の良いように治める者に対して厳しい

戒めとなっています。エジプトにいた時奴隷であった時のことを思い起こさなければ

ならない、というのです。新約聖書では、主イエスの地上の宝を持つことに対する厳

しさが響き渡ります。「たとえ全世界を手に入れたとしても、自分の命を失ったら何

の得があろうか」と金持ちと乞食のラザロなどの譬えによって、自分が所有するもの

を頼りに生きる生き方のあさはかさが様々な形で指摘されるのです。真の自由をえて

生きるには、この傾きの意味をよく考えなければなりません。


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