5月22日
2016年5月22日

「日用の糧を今日も…」

申命記 8:2-10 ルカによる福音書 12:22-34


ハイデルベルク信仰問答の最後の部分の学びは主の祈りについてで、この学びによっ

て主なる神との生きた交わりの持ち方を学ぶだけでなく、この世を生きる生き方の基

本を学ぶことができます。主の祈りは初めの三つの祈りは、あなたの御名、あなたの

御国、あなたの御心についての祈りであり、次の三つの祈りは、わたしたちの日ごと

のパンがあたえられるように、わたしたちの罪が赦されるように、わたしたちを試み

に遭わせないように、と「わたしたち」についての祈りとなっています。

 わたしたちの必要についての祈りの最初にあるのが「日用の糧を今日も与えたまえ」

で、わたしたちの身体に必要なすべてのものを備えてくださいと祈ることだと教えら

れます。従って、生きるに必要な食糧だけでなく、衣食住すべてのものが含まれるわ

けで、この祈りが包んでいる領域は大きく、わたしたちが祈り求めることのほとんど

すべてはこの中に含まれてしまうほどです。

 この「日ごとのパンをください」という単純な祈りですが、伝統的にこの祈りの真

意について解釈が大きく分かれます。問題は「日用の糧」というとき、この「日用」をど

う理解するかです。この言葉の原語の意味は「生きるために必要な」とか「生活のた

めに」ということですから、ローマ・カトリック教会では、それは実体的なパンを指

すのではなく超実体的なパンのことを指すと考える傾向があります。主イエス御自身、

「わたしは天から下ってきた生きたパンである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲

まなければ、あなたがたの内に命はない」と語られましたから、ここで「日用のパン」

は、霊的なパン、聖餐で分かたれるパンのことを意味する、と言うのです。これに対

してプロテスタントでは、ルターにしてもカルヴァンにしても、ここで言われている

のは現実的、実体的なパンのことで、わたしたちが生きる上で必要なすべてのもの、

と理解する傾向があります。ルターはこの祈りの意味は「体の栄養や必要のためにな

るすべてのものだ。たとえば、食べ物や飲み物、服や靴、家や住むところ、畑や家畜、

お金や財産、正直な夫婦、正直な子供、正直な働き手、正直で誠実な支配者、善い政

治、よい気候、平和、健康、養育、名誉、よい友だちや誠実な隣人などのことだ」と

具体的に解説しています。このような解釈の幅があることを心に留めることが大切で

しょう。もっと大切なことは、この祈りによって、これらのものがわたしの独占物で

はなく、天から与えられるものであること、それは造られたものが共有すべきことを

覚えることです。


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