7月24日
2016年7月24日

「十字架の言葉は…」

イザヤ書 29:13-16 コリントの信徒への手紙一 1:18-25


 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われ

る者にとっては神の力です。」このキリストの教会がこの世界に向って語り伝えるべ

き核心的なメッセージは、コリントの教会の中にある牧会的な課題、党派争い、ねた

みや争いが絶えない現実に対して語られている言葉です。何よりもここでこのように

語るパウロの言葉の迫力、厳しく挑戦的とも感じられる強い勢いに感じ取らなければ

なりません。十字架のロゴスを信じて疑わないというパウロの信仰の確信を主張して

いるのではなく、人間的な知恵や知識を頼りに、誇りと自負の中で生きているキリス

ト者に変革を迫り、これを信じここに立っていなければ滅びると、脅迫せんばかりに

語っているのです。十字架につけられたキリストを宣べ伝えるということは、このよ

うな勢い、決意と迫力をもって語られるべきものであることに思い至らせられます。

この世の知恵のある人、学者、権力ある者の知恵や知識や経験、知恵からすれば全く

愚かにしか見えないものであると知りつつ、しかし、このロゴスの中にこそ神の知恵、

神の力が秘められていることを、闇の中を切り裂く光のような勢いをもって語るので

す。

 「十字架の言葉」は「十字架のロゴス」であって、聖書を通して語られる福音の全

体を示しています。主イエス・キリストの十字架上で語られた言葉、あるいは、十字

架の死に至る主イエスの歩みだけのことではありません。父・子・聖霊の三位一体の

神が罪ある人間とどのようにかかわって下さるか、主イエス・キリストの十字架の死

と復活を通して示されたわたしたちに対する神の愛と救いに関わるすべてのことが

「十字架の言葉」として一言で表現されているのです。

 パウロは「十字架の言葉」を信じて生きるように強く促しますが、この言葉はこの

世の知恵や理性にとって対立的な性格のものであることを知るべきであることも明ら

かにしています。「滅んでいくものにとっては愚かなものであり、つまずきとなるも

の」、「世は自分の知恵で神を知ることは出来ませんでした。それは神の知恵にかな

っています。そこで、神は宣教と言う愚かな手段によって信じる者を救おうとお考え

になったのです」と、「十字架の言葉」はこの世の知恵や経験、学者の意見の一つに

加えられる何かではなく、その知恵によって自らの誇りの種を形成するものでもなく、

神の知恵、神の力そのものだということを明らかにします。


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