2月5日
2017年2月5日

「平和な生活を送るために」

箴言 31:10-31 コリントの信徒への手紙一 7:8-16


 コリントの信徒への手紙一・7章では主イエス・キリストに結ばれて生きる生活は

人間が男と女の性の関係や結婚生活において生きる現実にも深い思慮と清潔な交わり

が求められることを教えています。様々な具体的なケースを取り上げながら、まさに

ケース・バイ・ケースの考え方が示されています。未婚者とやもめについては、独り

でいるのがよいが情欲に身を焦がすよりは結婚した方がよい、と。既婚者については

「妻は夫と別れてはいけない。夫は妻と別れてはいけない」と主の命令として語りま

す。信仰に入ることによって霊的な人間になったのだから一切の性的な交わりを絶つ

べきだとか結婚の関係を解消すべきだと主張する人たちが教会の中にいたことがうか

がわれます。パウロはこのような信仰的な独りよがりに対して主イエスの言葉をもっ

て「離婚してはいけない」と告げるのです。ところが、これに続いて「すでに別れて

しまったのなら再婚せずにいるか夫のもとに帰りなさい」と促し、「あなたに信者で

ない夫がいて、その妻(夫)が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女(彼)を

離縁してはいけない」と結婚の関係を大切にするように勧める一方、「しかし、信者

でない夫が離れて行くなら、去るにまかせなさい」と離婚を容認してもいるのです。

無理解で無責任な暴力的で専制的な男(女)のもとでの結婚生活の悲惨さの現実につい

ても理解が及んでいます。「こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと結婚

に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと神はあなたがたを召されたのです」

と。まさにケース・バイ・ケースです。

 興味深いのは、未信者の夫や妻を持っている人に相手が望むなら離縁してはいけな

いということの理由です。「信者でない夫(妻)は信者である妻(夫)によって聖なるも

のとされているからです」というのです。この言葉に慰めを感じる日本のキリスト者

は多いでしょう。どうしてそのように断言することができるのか。それは、結婚にお

いて「父と母と離れて男と女が一体となる」と語られている結婚の秘義と関わりがあ

ると思います。一体となる関係は、キリスト者にとってはもう一つあります。洗礼に

よって主イエス・キリストと一体となり、その死と復活の命にあずかる者となるから

です。キリストと一体であるキリスト者が結婚の関係において夫(妻)と一体であるこ

とにおいて、私たちに与えられるキリストの死による贖いと復活の命は、妻(夫)と

の関係をも聖化することを示しています。キリストと一体となることの祝福はキリス

ト者のこの世の関係を変えるのです。

 このように結婚をめぐる様々な具体的な現実を取り上げながら、教えられるのは、

このように男と女の対等性において生きるべきこと、キリスト者は、男であれ女であ

れ、キリストと結ばれて神の前に生きる個として他者と交わること、そこに自由があ

ることです。


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