4月9日
2017年4月9日

「神の子の死」

イザヤ書 50:4-9a マタイによる福音書 27:11-54


 マタイによる福音書によって伝えられる主エス・キリストの十字架の死の情景は、

わたしたち全人類の罪のために代わって死なれた神の子の死の姿を描き出すより、無

実の罪を着せられた一人の人間の無残な死のさまが強調されて描き出されているよう

に見えます。ローマ総督ピラトの前に引き出された主イエスは、「お前がユダヤ人の

王なのか」と問われたのに対し「それは、あなたは言っていることです」と答えただ

けで、あとは何を言われても何も答えず、ピラトが非常に驚くほどの沈黙を貫かれ、

最後に「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれ

て、更にまた大声で叫ばれて息を引き取られたと記されています。マタイは、主イエ

ス御自身より、その周囲でうごめく人間の姿の方を克明に描いているのです。イエス

がねたみのために裁きの座に引き出されているのを悟って何とか釈放しようと画策す

るピラト。ピラトの妻までが登場しますが、民衆の声に負けて血の責任をユダヤ人に

転嫁するピラト。どちらを釈放すべきかと引き合いに出された評判の囚人バラバ。人

々は祭司長らの扇動によってこのバラバの方を自分たちに必要な人物として生き残る

ことを求めたのです。主イエスの十字架によって成し遂げられる神の救済計画の遂行

においては何の必然性もないこのバラバの命との引き換えは、主イエスの十字架の歴

史が、まさに歴史の中で起こった現実であることを深く印象付けられます。次に、総

督官邸の兵士たちによる嘲りと嘲笑の洗礼。上着をはぎ取り王を象徴する赤い服を着

せ、茨の冠を頭にかぶせ、葦の棒を持たせて「ユダヤ人の王万歳」と侮辱する。その

あげくに葦の棒で頭を叩きながら唾を吐きかける。人間性の低劣さと愚かさを露呈す

る群像の中で、主イエスの深い沈黙。十字架の側を通り過ぎる人々の言葉も胸に刺さ

ります。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そし

て十字架から降りて来い。」祭司長や律法学者たちの勝ち誇る声、「他人は救ったの

に、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがよい。そうすれ

ば信じてやろう。神に頼っているが、神のみ心ならば今すぐ救ってもらえ。『わたし

は神の子だ』と言っていたのだから。」「一緒に十字架につけられた強盗たちも同じ

ようにイエスをののしった。」十字架を取り巻く人々にとって主イエスの死は「わた

したちのための死」などでは全くなくて、ありふれた日常の出来事、「他人の死」、

「向こう側の死」以外の何ものでなく、神に見捨てられた姿として描かれているので

す。ここに、わたしたちの罪のための神の子の死がある、と。


秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る