アドヴェントの最初の主日に聴く主のみ言葉は、2千年前にベツレヘムで告げ知ら
された福音ではありません。これから起こる終極についての福音です。マルコによる
福音書13章は「小黙示録」と呼ばれ、主イエス御自身が弟子たちに語られた黙示文学
的な世の終わりの出来事が記されています。偽預言者や戦争や飢饉、大地震などの天
災人災の大災害があった後に、「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、
天体は揺り動かされる・・・」と、宇宙的なレベルでの終局の様が語られます。神に
よって創造された秩序ある世界が再び闇と混沌へと帰してゆく、神によってもたらさ
れる最後の審判の時は、個々の人間の罪への報復のレベルをはるかに超えて創造の秩
序全体の破壊と終焉の事態に立ち至ることを示しているのです。
「このとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びつつ雲に乗って来るのを人々は見る。
そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで彼によって選ばれ
た人たちを四方から呼び集める。」ここに驚くべき場面の転換があります。太陽は暗
くなり、星は空から落ち、天体が揺れ動くこの物理的な現象のただ中に人間的・人格
的な存在が現われて、天使たちを遣わして天と地の四方から選ばれた者を呼び集める
という個々の人格にとっての決定的な時が来るというのです。宇宙的な、すべての創
られたものに及ぶ普遍的な危機のただ中であるにもかかわらず、この時こそ、選ばれ
た者が呼び集められるという救済の業、究極の救いの時が訪れる、と。世の初めに天
と地を創造された主イエスがそのように語られます。主イエスが語られる世の終わり
の情景は、わたしたちが想像する様々な終りの情景をはるかに超えて恐ろしく危機的
なものです。すべての安易な信仰や希望を踏み潰すような性格の終わりです。しかし、
この時に「人の子が雲に乗って来るのを人々は見る」「天と地の四方から選ばれた者
を呼び集める」と、人間の側からのものではない救いの業が展開されます。この時、
天から雲に乗って現われる「人の子」は、わたしたちにとって全く未知の存在ではあ
りません。わたしたちはその名を知っており、その方が誰のために何をなさったかを
知っています。そして、選ばれて呼び集められる人々は、それぞれの功績に飾られて
集められるのではなく、キリストの名を信じキリストの衣を着た者が集められるので
す。わたしたちにも、いつか訪れるアドヴェント、この時に向って、「目を覚まして
いなさい」と主は語られます。
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