主イエスは弟子たちの真ん中に立ち、あなたがたに平和があるようにと告げられた
後、トマスに向かってご自分を現されました。トマスは、ここで主イエスに引き寄せ
られています。親しい交わりの中に主イエスは立っておられます。疑い深いトマスに
向かって、これがわたしの手だ、この釘後を見てごらん、これが、あなたのために血
を流した跡だと言われました。
弟子たちはトマスのことをよく知っていたはずです。あれだけ主イエスを慕い、主
イエスと一緒にいたいと思っていたトマスが甦りの主イエスを見ることができません
でした。弟子たちはトマスを説得したのですが、それはなりませんでした。
私たちはどうでしょうか。主イエスが甦られたと言われるけれども、その証拠はど
こにあるのかと同じ質問をしてしまいます。
トマスは信仰なき心から信仰へと移されて言いました28節「わたしの主、わたし
の神よ」と。次いで29節「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じた
のか。見ないのに信じる人はさいわいである』」と。
主イエスは、ご自分の体、手と脇腹をお見せになったように、自分は、ただ言葉と
して残っているわけではない、ただ肉体がない霊的な不確かな存在として甦ったので
はなく、明確に体を以て蘇られたことを示してくださいました。この体を持った主イ
エスを、仰ぎ見ることができたことは、トマスにとって幸いなことでした。
「見ないのに信じる人はさいわいである」と見ないで信じることができる人を祝福さ
れています。ほめておられるのではなく招いていてくださるのです。見ずして知る主
イエスを信じる喜びの中に招かれるのです。しかも、私たちは孤独ではありません。
教会で、主イエスに招かれているのです。呼び集められているのです。甦りの主イ
エスは、いま私たちと共に生きておられるのです。教会として生きておられるのです。
教会として存在しておられるのです。主は私たちの孤独から恵みの交わりの場へと引
き寄せてくださいます。すべての者が主の甦りの命の確かさの中に生きることができ
るようにされるのです。
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