教会の暦では復活祭から二週間目の今日は「主の憐れみ」を覚える聖日にあたりま
す。主イエスの復活によって、新しい生命の力が与えられた弟子たちのように、わた
したちも、復活の主と共に生きるとはどういうことなのかを聖書によって確かめたい
と思います。キリストは私たちの模範として、苦しみを受けられました。その苦しみ
を受け入れた姿が、わたしたちの模範です。イエスは苦しみの中で、一切抵抗するこ
となく、それが父なる神のご計画であるのなら、その身に負うこと、すなわち、全く
理不尽な苦しみに対しても自分を主張しません。それは、与えられた自分の立場を受
け入れ、それがどんな状況であれ、父なる神の導きに従うということをわたしたちに
教えています。23節の言葉で、「正しくおさばきになる方にお任せ」になったという
ことなのです。日々の歩みの中で、なぜ、自分がこれほどまでに苦しまなければなら
ないのか、理由のわからないことがおこります。神さまなぜですかと祈るよりほかな
いことが降りかかってきます。ここにわたしたちの歩む道があります。それは、神の
導きを信じてゆだねること、苦しみの中にあってもなお神を見失わないことです。苦
しみの中にあって神に従うことこそ、イエスの足跡をたどることなのです。イエスは
「わたしについてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従い
なさい」(マタイ16:24)といわれました。イエス自身が十字架を負って、苦しみの道
を進んだのです。苦しみの中にある全ての人に寄り添うために、イエスは命を懸けて
死の世界へ降りました。そして、その命を神はよみがえらせたのです。
「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、いまは、魂の牧者であり、監督者
である方のところへ戻ってきたのです」。(Tペトロ2:25)羊のようにさまよって
いたのは、ペトロ自身です。
イエスから離れ、さまよい、どうすることも出来なくなっていたペトロをもう一度
呼び戻したのは、復活したイエスです。愛する者を裏切った、そのペトロの悲しみ、
苦しみを取りのぞくのはイエスにしかできません。魂の牧者によって招かれ、再び生
きる者とされたのは、ほかならぬペトロでありました。憐れみ深い神は、こうして、
一人ひとりの、抱えている悲しみ、苦しみを、いやしてくださるのです。そのペトロ
が、わたしたちにキリストの救いを伝えているのです。これほど確かな救いの知らせ
はありません。ペトロは、復活の主イエスと出会い、ゆるされ、新しく生かされて、
使命を与えられて、救いを伝える働きをする伝道者となりました。「主の憐れみ」を
おぼえる今日、わたしたちの苦しみを知り、憐れんでくださるキリストを覚えて、主
に従う歩みを続けていきたいと思います。
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