4月29日
2018年4月29日

「恵みの中に立つ」
木村 太郎 牧師   創世記 1:1-5 ヨハネによる福音書 1:1-18


 ヨハネによる福音書の御言葉は「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神

であった」(1:1)と始まります。「初めに」と一番最初に記されています。この「初

めに」という言葉を通して、神さまの天地創造の出来事が指し示されています。創世

記1章1節は「初めに、神は天地を創造された」と始まります。この御言葉とヨハネの

御言葉が響き合い、神さまの独り子キリストは既に天地創造の初めにおられたという

ことが暗示されます。キリストのご生涯の発端は、この世の時間や歴史を超えるとこ

ろに遡るのです。キリストは、私たちの考える時間や歴史に拘束されるのでも、それ

らに捕らわれる方でもないのです。

 その方が「言」であるとも言われています。ここでも神さまの創造の業が考えられ

ています。天地創造の1つひとつの業は、神さまご自身の言を通してなされました。

神さまが言を通してご自身の創造の業をなされたように、今度はキリストがその言と

なり、神さまご自身の御心である新しい創造の御業を成し遂げてくださるのです。

 その神さまご自身の御心とは私たちの罪の赦しです。神さまを理解しない、認めな

い、そして受け入れない暗闇の支配、罪の支配、そして死の支配の只中に、神さまの

独り子キリストが言として降りて来てくださったのです。そして新しい創造の御業、

すなわち人間の罪を赦し、私たちを神さまと向き合い、神さまに心を高く上げる者と

して新しく創造してくださる 御業を担ってくださったのです。

 そのためにキリストは「肉となって、わたしたちの間に宿られ」(1:14)ました。

神さまご自身が、私たち人間の喜び、痛み、苦難の全てを、キリストを通してご経験

なさるという決断をされたのです。神さまは全知全能の 方なのです。どんなことで

も知っておられる方であるのです。にもかからず、神さまはキリストを通して、私た

ちの歩みと歩調を合わせてくださったのです。そしてその只中で、キリストを通して、

私たちに絡みつく罪を贖うために、十字架と復活の恵みを打ち立ててくださいました。

 私たちはその恵みの広さ、長さ、高さ、そして深さの中に立つことがゆるされてい

ます。その恵みこそ日々の歩みへと繰り返し押し出す源なのです。

説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る