キリストの弟子たちの乗った舟は、暗闇の中で激しい嵐に直面しました。キリスト
はその中ではっきり宣言してくださいました。「わたしだ。恐れることはない」(ヨ
ハネによる福音書6・20)。
しかし、キリストがおっしゃったことはそれだけです。キリストは嵐をお叱りにな
りません。嵐をお静めにならないのです。弟子たちは続く嵐の中で「目指す地に着い
た」(同6:21)のです。キリストは嵐を取り除かれることなく、その只中で弟子た
ちと共におられることを示されました。「わたしだ。恐れることはない」。嵐の中で
響くこのキリストの言葉は真に力強い言葉です。私たちはこのキリストの言葉から救
いと慰めをいただくのです。どのようなことが起ころうとも、キリストこそ、私たち
のために神から遣わされた真の救い主であり、慰め主であることを信じるのです。
弟子たちは、嵐の中でキリストを舟の中に迎え入れます。「そこで、彼らはイエス
を舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた」(6・21)。
私たちも、様々な重荷を抱えることがあっても、繰り返し悔い改めつつ、この救い主
キリストを心の内に迎え入れ、受け入れるのです。
しかし、私たちはそのことを、歯を食いしばって一生懸命自らの力でなすのではあ
りません。私たちには教会があります。舟とは教会です。共々に「わたしだ。恐れる
ことはない」とのキリストの言葉を真の慰めとして信じさせていただく信仰者の群れ
です。
ここで、舟が「目指す地に着いた」と言われています。教会の目指すところとは、
キリストが再臨してくだる時です。「新しい天と新しい地」(ヨハネの黙示録21・1)
が立てられる時であり、神が「自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をこ
とごとくぬぐい取ってくださる」時であり、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆き
も労苦もなくなる」時です(同21・3〜4)。
その時に至るまで、キリストは私たちの歩みを1つも漏れることなく、その御手の
中においてくださいます。キリストは静かに私たちの傍に立ち続けてくださいます。
そして、教会という舟を通して繰り返し「わたしだ。恐れることはない」という御声
を響かせてくださいます。
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