キリストは、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子
である」とおっしゃいました。まずキリストは、「もしわたしの言葉にとどまるなら
ば」と仮定でお語りになります。
キリストは、私たちのありのままの姿をご存知であるのです。時として、キリスト
の言葉を信じ続けることに望みを置けなくなる姿です。キリストの言葉を信じ続ける
ことに疲れを覚える姿です。だからこそキリストは、「わたしの言葉にとどまるなら
ば」とおっしゃり、その先にある確かな幸いへと招いてくださるのです。
しかし、「わたしを信じるならば」ではありません。キリストは、「わたしの言葉
にとどまるならば」とお語りになりました。この「とどまる」という言葉には、「定
住する」という意味があると言われています。住まいを定めるのです。1つの場所に
家を構えるのです。キリストは、「1つの場所に家を構え、そこに住み続けるのと同
じように、わたしの言葉にとどまり続けるならば」とおっしゃったのです。
ここでキリストは、教会という家についてお語りになっておられるのです。私たち
1人ひとりが、教会というキリストの言葉が語られる場所に住まいを定め、そこにと
どまり続けることへと招いておられるのです。勿論、私たちひとり1人には、それぞ
れの家があります。日々そこを出て、そこに帰って行くのです。しかし、私たちがと
どまり続ける真の住まいとは、救い主キリストの言葉が語られる教会なのです。
「わたしの言葉を信じるならば」ではありません。「わたしの言葉にとどまるなら
ば」なのです。キリストは、教会への招きをお語りくださるのです。そして、その招
きの先にあるのは、確かな幸いなのです。それは、「あなたたちは本当にわたしの弟
子である」というキリストの慰めに満ちた宣言の言葉に示されています。
教会を真の住まいとしここにとどまるならば、キリストが、私たちひとり1人を、
キリストご自身のものとしてくださっているという幸いに与ることができるのです。
私たちがまずキリストに向かって、「私はあなたに従っていく弟子です」と言うので
はありません。何よりも先にキリストの方から、「あなたはわたしのものである」と
おっしゃってくださる。そのようなキリストにある幸いをいただくことができるので
す。
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