8月26日
2018年8月26日

「信仰に生かされる」
 石原 勝代 牧師   申命記 6:4-5 ルカによる福音書 10:25-37


「永遠の命」受け継ぐには何をしたらいいのか、と律法の専門家がイエスに問いかけ

ます。「永遠の命」は死なない命ということではありません。地上での生涯を終えた

としても、なお主と共にある、という約束のことです。聖書に基づいて考えると、死

は人間の罪の結果与えられた罰として受け止められていました。最初の人間アダムが、

神との約束を破ったため「塵に過ぎないお前は塵に返る」といわれていたからです。

人間は神の罰をうけて、滅びの死を迎える。これを避けることはできないのか、この

ことは大きな問題でした。人々は、神に従う生き方を全うすることで、滅びの死では

なく、主の祝福をいただいて、永遠の命を受け継ぎたいと願っているのです。

 イエスに質問をした、律法の専門家は「わたしは律法をわかっている。神を愛し、

隣人を愛することは、何よりも大事な掟だ、実行しようと思っているが、実行する相

手がいないだけなのだ。隣人はどこにいるのだ?」とさらにイエスに問いかけます。

そこでイエスは一つのたとえを話します。〈強盗に襲われ傷ついた人を助けたのは、

祭司やレビ人ではなく、ユダヤ人が軽蔑し嫌っているサマリア人であった〉「善いサ

マリア人」といわれるこのたとえは、善い行いについてのたとえでもなければ、正し

い行いをするための例題でもありません。「隣人とは誰か」、という問いに対するた

とえです。

 イエスさまは、このようにたとえることで、見ず知らずであっても、行きずりの人

が、目の前で苦しんでいたら、あなたは助けるのではないですか、と律法の専門家に

気づかせたのです。たとえの後「誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」、

と聞かれ、「その人を助けた人です」と答えた律法の専門家は、この後どうしたでし

ょうか。もしかしたら、この人はこの後、困っている人に対して助けることを惜しま

ない人になったのではないかと思うのです。イエスの言葉を聞くこと、イエスさまと

対話をするということは、そんな風に、生き方が変えられていくことだからです。

イエスとの出会いによる、人生の転換点がここにあります。「その人を助けた人です」

と答えた律法の専門家は、自分に問いかけたことでしょう。誰が隣人になるのか、そ

れはわたし自身ではないか。そう言って、立ち上がり出て行ったに違いありません。

 救われた経験、苦しみから救い出された経験は、今苦しみにある人に手を差し伸べ

る力となります。律法の専門家は、イエスと出会って変えられました。その変化は、

誰にでも開かれています。自分を小さくまとめてしまう、知識や、思い込みを捨てて、

イエスさまと共に、大いなる主の恵みの中を歩んでいきたいと思います。

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