9月23日
2018年9月23日

「祈りをささげる勇気」
 疋田 義也 牧師   サムエル記下 7:18-29 ヨハネによる福音書 16:25-33


 私たちは、「神様は祈りを聞いて下さっている」という信仰のもとに祈っています。

サムエル記下7章18節以下にはダビデ王の祈りの言葉があります。絶えず、主なる

神様に信頼して歩んできたダビデが、神様に感謝の祈りを捧げているのです。ダビデ

は、預言者ナタンを通じて、神様が彼の敵を退け、彼にやすらぎを与え、そしてダビ

デの「家を興す」と約束されました。この「家」というのは、神の家であり、神様ご

自身が、礼拝をするための神殿を建てて下さるというのです。そして、神様は神の民

であるイスラエルと共に住み、彼らを守り、祝福して下さる。これが大きな約束であ

り、恵みだったのです。この約束を受けて、ダビデは「祈りをささげる勇気を得た」

と言っています。

 さて、18節以下だけを見ると、ダビデの望むところを全て、神様がその通りに成し

遂げて下さった様にも受け取れます。しかし、7章を初めから読むと、実はダビデ王

が自分の在位中に神殿を完成させることを望んでいたことが分かります。ダビデ王は、

その願いを預言者ナタンに相談しますが、神様は「あなたがわたしのために住むべき

家を建てようというのか」とお怒りになり、ダビデ王ではなく、彼の息子(ソロモン

王)が神殿を建てるとお伝えになったのでした。ダビデ王が祈り望んだことは、形を

変えて成就したのです。私たちは、祈る時、その願いが目に見える形で、少しでも早

く叶うことを願います。しかし、このダビデ王のように、見て確認できず、祈りの中

で神様に委ねることが求められる時もあるのです。それでもダビデは、将来において、

そのことが確かに実ることを信じることで、神様の約束に委ねて、耳を開かれ、希望

と勇気を与えられました。

 現代を生きる私たちにとって、祈る勇気を与える神様の約束というのは、イエス様

から与えられます。ヨハネ16章25節以下で、「はっきり父について知らせる時が来る」、

「父ご自身があなたがたを愛しておられるのである」とイエス様は告げておられます。

イエス様の十字架は神様の愛の光によって輝き、そして主の復活は、イエス様を信じ

る私たちに永遠の命を与え、将来神様の国に入る恵みを約束されています。イエス様

は「わたしの名によって願いなさい」と、主の名によって祈ることを教えると同時に、

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝

っている」と、私たちが試練や困難の中にある時も、受難と復活を経て罪と死の暗闇

に打ち勝たれたイエス様が共に居て下さることを約束されるのです。私たちの贖い主

であるイエス様のもとで、祈りによって、神様に委ねることこそ、真の慰めであり、

安らぎなのです。

 よって輝き、そして主の復活は、イエス様を信じる私たちに永遠の命を与え、将来

神様の国に入る恵みを約束されています。イエス様は「わたしの名によって願いなさ

い」と、主の名によって祈ることを教えると同時に、「あなたがたには世で苦難があ

る。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と、私たちが試練や

困難の中にある時も、受難と復活を経て罪と死の暗闇に打ち勝たれたイエス様が共に

居て下さることを約束されるのです。私たちの贖い主であるイエス様のもとで、祈り

によって、神様に委ねることこそ、真の慰めであり、安らぎなのです。

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