11月4日
2018年11月4日

「死んでも生きる」
 内田 武士 牧師  ダニエル書 12:1-3 ヨハネによる福音書 11:17-27


 マルタは主イエスの前に独り立ちました。ラザロの死に心打ちひしがれています。

そして主イエスと<共に立つ>ていました。そこから二人の信仰の対話が始まります。

マルタは「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったで

しょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、

わたしは今でも承知しています」と言いました、主イエスの応えは「あなたの兄弟は

復活する」でした。

 マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」といいます。

主イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

生きていてわたしを信じる者は誰も決して死ぬことはない。このことを信じるか」と

言われました。マルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシア

であるとわたしは信じております」と。続けて彼女は「しかし、あなたが神にお願い

になることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」と言

います。

 主イエスは「あなたの兄弟は復活する」と言われました。しかし、マルタはこの言

葉をよく理解できませんでした。これまでのマルタの言葉に対し、主イエスは「わた

しは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわた

しを信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と言われました。

今日与えられた御言葉の核心となるところであります。

 終わりの日に起こるべきことが、今、この主イエスにおいて、すでに現在のことに

なっているということです。主イエスご自身が復活そのものであるが故に、復活は単

に理想でも幻想でもなく、復活は現実であるということです。「わたしは復活であり、

命である」という言葉に続けて、「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きてい

てわたしを信じる者は誰も、決して死ぬことはない」と言われました。

 ところで、「このことを信じるか」との問いに対してマルタは「はい、主よ、あな

たが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」と、告白

します。それは彼女が、「わたしは復活であり、命である」という主イエスの言葉を

正しく受けとめたということであります。


説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る