1月13日
2019年1月13日

「信じ切る幸いへ」
 木村 太郎 牧師  詩篇 86:5-13 ヨハネによる福音書 14:1-11


 十字架へと進まれるキリストは、こうお語りになってくださいました。「わたし

の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用

意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻

って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」(2?3節)。

 ここで、キリストがお語りになることは、ご自身の昇天についてです。昇天され

るキリストは、私たちの天における場所を用意してくださるのです。キリストは、

私たちの死、そしてその死の先のことをお考えくださっているのです。

 しかしそれだけではありません。「戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎

える」とおっしゃることを通して、天に昇られたキリストが、もう一度この世に戻

って来られる再臨の時のことすらお語りになってしまうのです。

 キリストは、これらの言葉を、ペトロの裏切りの予告の直後にお語りになりまし

た。そのことを通して、キリストは、ご自身の十字架の死が近いことを悟られたは

ずです。ですから、この時に一番考えなければならないのは、キリストご自身の死

についてなのです。にもかからずその只中で、キリストはご自身をみつめるのでは

ありません。キリストは私たちひとり1人を顧みてくださるのです。

 キリストは、その深い憐れみをお示しになるために、差し迫るご自身の十字架に

ついてお語りになるのでも、十字架の死からの甦りについて語られるのでもないの

です。その先に起こる昇天、さらに再臨をお語りになられるのです。

 つまり、それほどまで、キリストのご支配は確かに続くということです。キリス

トは、ご自身のご支配が、十字架、復活、昇天、そして再臨に至るまで確かにあり

続けるとおっしゃってくださるのです。

 目の前に迫る出来事ひとつ1つに、心が騒ぎ、心かき乱されるのが、私たちひと

り1人の姿です。私たちは、時として情けないほど、目の前に迫るひとつ1つのこ

とに、心揺り動かされるのです。どのようなことがあっても、キリストのご支配は

揺るがないと信じ切ることができないのです。

 キリストは、そのような私たちひとり1人に向かって、キリストご自身の途切れ

ることのない確かな御手のご支配を示してくださるのです。


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