当時は、書いた手紙を宛先へ実際に持って行ってくれる人がいなければ届けること
が出来きませんでした。特に牢獄の中にいるパウロにとっては尚更でした。「私がキ
リスト・イエスの愛の心であなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証
ししてくれます」と8節で書いていることは、なかなか手紙を出すことが出来ないで
いた彼のもどかしさを良く表している言葉です。
ただ、その次に「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力を身に着けて、あな
たがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」と書い
ている点に学ばされます。その人達のことを「思っている」のなら、何よりその人達
のために神さまに「祈る」ことは当然ではないかと。おそらく彼は毎日何度もフィリ
ピの教会員のこと思って祈っていたのでしょう。
私たちは家族や友人たちのことを各々に「思っている」にちがいないでしょう。そ
れなら、その人たちのために神様に祈っているでしょうか? そしてその祈りの内容
は何でしょう、何を神様に願っているでしょうか?
このパウロの祈りのすごさは、単にフィリピの教会員の幸せや平安を祈っているの
ではない点です。「本当に重要なことを見分けられるように」とは、フィリピ教会の
人たちが信仰的に自立して行くことを願っています。フィリピ教会はパウロが開拓伝
道をして誕生した教会でした。故に、パウロはいつも気に掛け、祈っていたのでしょ
う。しかしその上で、いつか彼の指導や助言を求めなくても自ら信仰的に道を選び取
って行ってほしいと願っているのです。まさに彼からの自立を祈っているのです。相
手の真の成長をと願う、素晴らしい祈りなのです。
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