伝道者であるパウロが捕まえられ、牢獄に入れられたということを聞いた人々は
『これで何もできなくなった。パウロももうお終わりだ』と思ったことでしょう。し
かし実際の彼は違っていました。「わたしの身に起こったことが、かえって福音の前
進に役立ったと知ってほしい」と述べていますように、獄中での毎日の礼拝や取り調
べ毎の彼の弁明と告白と通して「兵役全体に(キリストのことが)知れ渡った」ので
した。それだけでなく、不思議なことに彼が捕まったことで他の伝道者たちが更に
「御言葉を語るようになった」のでした。それは、獄中にあるパウロを励まそうとし
て伝道を頑張ってくれる仲間たちだけでなく、むしろパウロの伝道方針に対立して来
た伝道者たちも、パウロが活動できない間にと頑張り始めたのでした。それがここで
の「ねたみと争いの念で」伝道する者たちのことです。普通の人なら『やめて欲しい』
と思うでしょう。
しかし、パウロは「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにか
くキリストが告げ知らされているのですから、わたしは喜びます」と言うのです。
すごい言葉です。ここに福音伝道に生涯を献げた彼の真骨頂を見ることができます。
このパウロと比べて、私たちはどうして他人のことが気になるのでしょうか? 自分
の考えに沿わないと人を認めないのでしょうか? いつも勝ち負けを考えてしまうの
でしょうか? 嫉妬や対抗心から解放されるためには、はるかに大きな目的のために
生きるしかないのです。
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