ここには「どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」
とあります。ここでの反対者たちとは、ユダヤ教徒ではなく、異教の神々を崇拝し
ている人たちやそれらの神殿に関わっている人たちのことです。この教会があるフ
ィリピの街はローマ帝国直轄の植民地であり、住民にはローマの市民権が与えられ
ました。ギリシャ語を話す周辺地域の中でここだけはラテン語が話されていました。
故に昔からの土着の神々の他にローマの神々も入って来ていたのでした。それは今
の日本の状況とも通じるように思います。このような場所なりの「あなたがたの戦
いがある」とパウロは教えています。それは、反対者たちを非難したり屈服させ凌
駕することでなく、むしろ「どんなことがあってもたじろがない」戦いだと。そし
てその戦い方こそ「反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すもの」
ことになると教えているのです。
勿論、その後に「これは神によることです」と付け加えているように、たじろが
ないでいることを神様が用いて下さることで私たちの力量を超えて思わぬ効果や力
を発揮するようになることですが。
「戦い」と言われると嫌な感じがしますし、思うように変わらない状況や少しも前
進しないように見える伝道についつい気持ちが萎えてしまいがちな私たちですが、
しかし「どんなことがあっても、たじろぐことなく」信仰に踏みとどまることが私
たちの戦い方なのだと、そしていつかこのことが神様に用いられ、生かされる時が
あると思い定める者でありたいです。本来、各自の持ち場で踏みとどまる力を得る
ためにこの礼拝が備えられているのです。
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