「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹とが立っていた」とあります。自
分の子供であるイエス様が死の苦しみにあるのに、そのそばに居続けることはどれ
だけ厳しく辛いことだったでしょうか。かつてマリアさんはイエス様を産んだ後、
子供を与えられた感謝の献げものをするためエルサレム神殿に上った時に、シメオ
ンという人から祝福を受けると同時に「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と
いう預言を与えられました。イエス様が実際に体を剣で刺し貫かれる時に、マリア
さんもその心を剣で刺し貫かれるような心の痛みを味合うことになるだろうと。ま
さにこの時がそうでした。私たちならこんな所からは逃げ出したい、目をふさいで
何も見たくないと閉じこもってしまいそうです。しかしマリアさんはそうしません
でした。十字架上で殺されていくイエス様のそばから離れようとはしなかったので
した。どうしてでしょうか?
それが《母親の思い》だと言い得ます。たとえどんなに辛い出来事であったとし
ても、自分の子どものそばに居たい、もし死ななければならない運命なら、最後ま
で見届けたいと。そしてできればその遺体を預かりたいと願うのが真の親の願いで
はないでしょうか。そのような母だからこそイエス様は最後にその行く末を心配し
て弟子の一人に「見なさい。あなたの母です」と託されたのでした。ただしこれは
面倒を見るということではなく、イエス様によって新しい親子関係、家族が生まれ
たのでした。
教会はイエス様によって兄弟姉妹、家族とされた者たちの集まりです。信仰の繋
がりは血の繋がりをも超える事があることを信じます。同時にどんなにつらく厳し
い時でも主の十字架の元(=礼拝)に居続ける時にイエス様からみ言葉を頂けるの
です!
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