「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」と、パウロは
フィリピの教会員がなんとか一丸になって欲しいことをとても強く求めています。
この背後にはフィリピ教会に存在した問題がありました。
それは教会員同士の中にあった仲たがいでした。これはかなり根強い問題であっ
たらしく、この後4章でも取り上げています。どうしたら同じ思いになれるのか?
その際、彼は簡単に「信仰によって」可能だなどとはしていません。むしろそのた
めには必要な事柄(=条件)として5つも挙げています。最初の3つは「キリスト
による励まし(=イエス様によって罪が赦されている)、愛の慰め(=神様が愛し
て下さっている)、霊による交わり(=聖霊が注がれている)」です。ここには三
位一体の教理が隠れています。つまりキリスト教の奥義に通じるような信仰すべて
を持って当たらないととても克服できないと考えているのです。更にそれだけでは
足りず「それに慈しみや憐れみの心があるなら」を加えています。人間としての優
しさまで要求しているのです。
私たちも、信仰を持っている人から罵倒されたり、無視され、軽く扱われたりしま
す。とても傷つきます。教会から離れてしまう危機になります。そのような出来事
を克服するためには、信仰のすべてを要求され、その人の人間性まで問われるのだ
ということでしょう。まさに<他人を赦す>ことがそれほど難しいかということを
パウロはよく知っていたのではないかと思います。
逆に言えば、もし私たちが「思いを一つにする」ことが出来たならば、それは決し
て当たり前のことではなくむしろ奇跡に近いと言い得るのではないでしょうか。神
様から恵みとして与えられるものであると。そのためにキリストが私たちに与えら
れたと言い得ます。私たちの間にある《隔ての中垣》を取り除くために!
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