各々お互いのことを心に掛けることが大事だとパウロは勧めています。なぜなら
「それはキリスト・イエスにもみられるもの」だからだと。この部分を「これこそ
キリストの心である」と訳している翻訳があります。この《キリストの心》とは何
なのかを、実際のイエス様のご生涯を通して説明しようとしているのがこの5節以
下の言葉だと言い得ます。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者で
あることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人
間と同じ者になられました。」です。
これはイエス様が本来のご身分を棄てて、人間の元へと下って下さり、私たちの
兄弟となって下さったこと(=クリスマス)。そして更にそれだけでなく、もっと
低いところまで身を落して下さり(=奴隷として)、私たち仕えて下さったことを
示しています。まさにイエス様という方は、ご自分がへりくだることによって私た
ち人間を持ち上げようとして下さったのです。更に、私たちの地位を上げて、神の
子としてくださったのです。それは、私たちを愛して下さり、私たちが活き活きと
生きることを何より望み、喜んで下さるからです。そのような《人を活かそうとす
る心》こそ、キリストの心だと言い得るのではないでしょうか。
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、互いに相手を自分よりも優れた者と
考え」て欲しいという言葉は、『俺が』や『私こそ』という考えを捨てて、『あの
人に』『この人こそ』と《人を活かそうとする心》になって欲しいというパウロの
願いなのです。
現代は『個人の勝手でしょ』という言葉がまかり通っているような、それが自立
だと勘違いしているような世の中です。しかし、私たちたちはこの《キリストの心》
を少しでも分かち合う者でありたいと願います。その時初めて「同じ思いとなり、
同じ愛を抱き、心を合わせる」ことが可能になるとパウロは教えてくれています。
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