8月18日
2019年8月18日

「フィリピP−なすべきことは一つ」
 武田 真治 牧師  フィリピの信徒への手紙 3:12-14


 信仰を持って生きて行くことを<信仰生活>と言いますが、神様を信じればすべ

てが自動的にうまく運ぶというものではありませんね。山もあり谷もあります。そ

の信仰生活の中で何に一番気を付ければよいのか? 

 伝道者パウロは「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身

を向けつつ、神が上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひた

すら走ることです」と教えています。天を目指し前向きに走り続けること、走り抜

くことが肝心だと。

 その際、私たちのその走りを妨げるとして注意すべきと彼が挙げているものが

「後ろのもの」です。それを「忘れ」て前に向かうべきだと。これは過ぎた過去の

ことです。『ああすればよかった』『どうしあんなことをしたのか』と後悔の念に

引きずられていては前に進めません。ある解説者は『昔は良かった』と思うノスタ

ルジーだともしています。ただ、パウロがここで最も言いたかったことは≪罪≫で

しょう。過去の自分が犯した≪罪≫に囚われている限り、前に向かって走れないの

だと。

 パウロ自身、昔はキリスト教を迫害し、ステファノの殺害に加担した罪がありま

した。その罪をイエス様が十字架にかかって下さることで赦して頂いたという確信

がなければとても前向きには生きて行けない人間でした。勿論、犯した罪を忘れた

わけではありません。「後ろのものを忘れ」とわざわざ言っているのですから。し

かし、悔い改めて主にその罪を赦され、迷惑を掛けた人たちへの償いはそれからの

彼の生き方で償っていこうとして来たのでした。私たちもイエス様の十字架による

赦しがなくては本当には「後ろのもの」を吹っ切れないのです。過去の自分の罪を

そんなにひどいと感じない人は幸いでしょうが、その罪は本当にそんなに軽いので

しょうか?
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