今日の箇所で伝道者パウロは「だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、
このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神は
そのことも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したとこ
ろに基づいて進むべきです」と教えています。ここには信仰者に対する幅の広い、
そして現実的な彼の見方がよく出ています。「完全な者」とは《成熟した人、おと
な》の意味ですが、ここでパウロは信仰を持った者はだれでもみんな「完全な者」
であるとは考えてはいないこと、また、完全にならないと信仰者として認めること
が出来ないとも言っていません。各自が信仰的に達した所に基づいて生きて行けば
よいと。これは信仰者一人一人の状態に応じて神様が必ず導いて下さるという確信
に立っているから言い得る言葉なのです。
どうでしょうか。信仰生活が長くなり、指導的な立場になるとどうしても『こう
あるべきだ』という観念が強くなり、他の信仰者のあり方や状態を許せなくなる傾
向に陥ります。牧師などは特にそうなります。それはこのパウロの観点から言えば、
神様の導きを信じていないことになります。自己検証すべきでしょう。
この手紙には、一方であるべき信仰の姿を熱く語るパウロの言葉がありますが、
その一方で今日の箇所のように信仰者の現実の姿をよく熟知した上で語っている言
葉もあります。その意味でパウロはとてもリアリスト(現実主義者)でもあります。
それが次に続く彼の言葉「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい」にも
よく表れています。勿論、パウロは他の箇所で「主にならう者となれ、キリストに
従え」と奨めています。しかし、まだ発展途上にある信仰者には、具体的な信仰の
先輩を真似することも必要だと考えているのです。まさにリアリストなのです。
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