イエス様はこんな話しをして下さいました。「あなたがたのうちのだれかに友達
がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、
パンを三つ貸して下さい。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も
出すものがないのです』」です。よく間違われるのですが、彼はパンが買えない
から恵んで欲しいとは言っていません、『パンを貸してほしい』と頼んでいます、
後日ちゃんと返すからと。当時はコンビニもありませんし、冷蔵庫もありません。
また当時のパンはすぐ固くなってしまいますので、あまり作り置きが出来なかっ
たからでした。
それに対して、頼まれた友だちの方は『面倒をかけないでください。もう戸は
閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています』と答えて断っています。無理
もありません、当時の戸はかんぬきでがっちりと閉じるものでしたから、そっと
起き出ても戸を開ける気配やその音で寝ている子供を起こして泣かせることにな
るでしょう。もっとも、子供がいるからきっと取り置きのパンもあるだろうとそ
の友人は考えたのですが。
ただ、断られてもその戸を叩き続けるようにとイエス様は教えておられます。
それが「しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か
を与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何
でも与えるであろう」です。だから「求めなさい。そうすれば与えられる」と。
これは神様への《祈り願い》について教えておられます。必死に願い求めれば、
神様のご計画やみ旨をも動かすことが可能なのだと、だから諦めずに求め続けよ
と。
実は私たちの願いを神様に届けと<門をたたき続けて下さる方>こそイエス様で
はないかと思います。私たちの祈りを神様へと執り成して下さるのですから。
説教集インデックスへ戻る
上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る